勉強の意味

   小6 あえさた(aesata)  2025年12月3日

 日本では、「努力」や「勉強」という言葉が日常の中で当たり前のように使われている。「勉強しなさい」という言葉を、学校や家で何度も聞いてきた人も多いだろう。しかし、そもそも「勉強」とは何のためにするものなのだろうか。漢字を訓読みすると「つとめ、しいる」となり、無理に何かをやらされるという意味が含まれている。そのため、勉強に対していやな印象を持つのは自然なことだと思う。また、日本は歴史的に外国の文化を急いで取り入れてきたため、目的を考えずに知識を詰め込む姿勢が身についてしまった。その結果、勉強は苦しく退屈なものだという考えが広まったが、本来の勉強は自分の生き方を考えるための大切な手段である。

 この文章を読んで一番印象に残ったところは「勉強」はそれ自体が目的ではなく、目的にたどり着くための手段にすぎない、という考え方である。これまで僕は、テストでより良い点を取ることや、宿題を終わらせることが勉強の目的だと考えていた。しかし、この文章を読んで、勉強は自分の進む道を見つけるためにあるのだと気づかされた。

 僕自身も、強制されてする勉強と、自分から進んでする勉強の違いを強く感じた経験がある。例えば、漢字五十問テストのようなものの前になると、先生に言われて机に向かうことがあるが、いやいや始めた勉強はなかなか頭に入らず、時間ばかりが過ぎてしまった。一方で、社会科で興味をもった内容について調べ学習をしたときは、気づくと夢中になっていて、時間がすぐに過ぎ、勉強が苦だと感じなかった。このとき、目的をもって学ぶことの大切さを実感した。また、この経験から、勉強は気持ちの向き方によって大きく変わるのだと感じた。

 さらに、母にも「勉強が面白かったとき」について聞いてみた。すると、「自分で目標を見つけたとき」や「将来につながると感じたとき」は、勉強が苦ではなかったと話してくれた。反対に、テストの点数や成績ばかりを気にしていた頃は勉強がつまらなかったとも言っていた。この話を聞いて、勉強はその場だけの結果ではなく、後になって意味をもつこともあるのだとわかった。そして、大人になってから役立つのは、覚えた知識以上に、考える力や学び続ける姿勢なのだと思う。

 人間にとって勉強とは、ただ知識を増やすことではなく、自分の進む道を見つけるための手段なのだ。確かに、ときには勉強を強制することも大事なときがある。しかし、強制されてする勉強は身につきにくく、「論語読みの論語知らず」ということわざがあるように、形だけになってしまうことがある。だから、自分なりの目的を見つけて学ぶことができれば、勉強は苦痛ではなく、充実したものになる。学生時代は、「何のために学ぶのか」を考えながら、自分自身を見つめ直す大切な時間である。そして、僕はこれからの勉強を自分の将来の夢を見つけに行く旅として前向きに取り組んでいきたい。