好奇心と追求
小6 あこまき(akomaki)
2025年12月3日
頑張る事が大好きな日本人は様々な場面で『努力』『勉強』などという言葉を好んで使います。勉強には『学問に努めはげむ』という意味の中に、何を無理じいするニュアンスが含まれているため、初めから嫌な印象が付き纏われているのだ。島国の日本列島は外来の文化を取り入れるために表面的な部分ばかりを身につけ内側の部分についてをなおぎりにしてしまった。何のために勉強をするのかという目的を問う前に『つとめ』、『しいる』癖がついてしまったのだ。しかし、学生時代は自分自身の生き方を考える時でもある。まさに学校の授業を通じてなされる勉強の大切さはここにあることを教えてくれる。自分の勉強する目的をはっきりさせ、勉強する中で自分の生きがいを見出す事ができたら、勉強も苦痛ではなく、充実したものになるでしょう。大切なのは、何のために学ぶかだ。したがって、学生時代とはこの課題を勉強を通じて考えていく、いわば自分探しの旅の始まりにも例える事ができるでしょう。
私は数日前に先生から
「明日、社会のまとめテストをやります。」
と告げられた。私は歴史というものが嫌いだ。そもそも暗記ということに興味を持つ事ができない。だから、六年生が始まってから一切社会の勉強をやってこなかった。しかし、先生から社会のまとめテストをやるとつい先日言われた。前期のまとめテストは成績によく響く大切なテストなのだ。私は二時間ほど歴史全体の復習をした。抜けていたところも多く、ノートにまとめながら進めていった。夢中になって勉強をしていたらあっという間に二時間経っていた。自ら勉強しようと思い、挑戦することで知識が身につき、良い成績を残す事ができるのだ。自分から進んでやる勉強は楽しく、やらされるものはつらいのだ。時間がかかるだけの宿題はやってもなかなか身に付かないが、自分で思いついた調べ学習でやったことは印象深いのだと私は思う。
学べば学ぶほど知りたくなるとアインシュタインは言っていた。記憶や暗記は苦手だった一方、数学や物理には天賦の才を発揮したアインシュタインは、幼少期から独学で数学や物理に対し、深掘りをしていた。アインシュタインの学習は学ぶ楽しさとなぜだろうという問いから始まり、遊びや空想と結びつけていた。好奇心と深求心を原動力に、深く没頭すること。そして教育が学びを妨げる事もあると語るように、既存の枠にとらわれず自ら体験し、疑問を持ち続ける姿勢が大切なのだ。アインシュタインは好奇心を持ち、調べ続けたことでノーベル物理賞を受賞する事ができたのだと思う。続けていった努力はいつか大きなものになるのだと私は感じた。
人間にとって勉強とは努力や好奇心を持つことでいずれ大きなものになるものだ。天は自ら助くるものを助く。これは点や運命は他人や運任せにせず、自分自身の力で一生懸命努力する人を助け幸福を与えるということだ。自分の力で困難に立ち向かい、行動する人にこそ、幸運が訪れるのだ。いやいや両親にやらされている、ということよりも自分の気になることから進んで学習をすることで、勉強という物が好きになるのだ。あなたも何か惹かれるものに追求してみてはどうだろうか。