数年前のことに(感想文)

   小5 あかすな(akasuna)  2025年12月3日

 数年前のことにはなるが、私は米国の言語学者T氏と東京で親しくなった。彼は多くの言語学者関係の友人、知人を家に招待した。失敗したと思ってご飯は肉と一緒に食べるのか食べないのかと。このように、食事というものは、いろいろな条件に制約された文化という構造体の重要な部分である。何をいつ食べ、どう食べ、何を食べていけないのか。それぞれの国によってさまざまな制限や規則が習慣として存在している。しかし、何かを食べてはいけないという明示的な規則は、外国人にも比較的判りやすい。同色の食物の食事全体における価値が、文化によって異なるときに、難しい問題がおこる。外国語を学習する際に、自国語の構造を自分ではそれと気ずかずにまず対象に投影して理解するという方法をとりやすい。従っていろいろと食いちがいが生じてくるのは当然だ。

 私が知っている外国の食事の習慣を詳しく調べてみることにした。最初に、手を使って食べる国について調べてみると、アフリカを中心にした国でインドやバングラデだ。私はこのような国の習慣に対し不満を持っている。その理由は、べとべとしたものを触った手でいろいろなところに触れてほしくないからだ。もし触ってしまうと全て触ったものがべとになるからだ。もう一つ私が調べたものは、虫を焼いて食べる国についてだ。虫を焼いて食べている人も画像をよく見たことがあり、すごく汚らしい印象を私はいだいている。日本では普段昆虫は食べていないからだ。そして私は、昆虫が好きなので焼いて食べるのもかわいそうだと思っている。なので虫を食べている人も画像を見るだけで鳥肌が立つほどだ。この時はまるで布団からはがされたように鳥肌が立ってしまうだろう。

 母に、国によって食事の習慣の違いを聞いてみることにした。すると母は、中国の習慣の話をしてくれたのだが誰もが驚くような話だった。中国では、四本足のものは机、いす以外、二本足のもの家族以外、空に飛ぶもの飛行機以外、水中のもの潜水艦以外何でも食べてしまうこと。それ以外のものが食べられるのなら何手も食べられそうな気がする。しかしここに出てくる四本足のもの「動物」。私は動物も好きであり、食べてしまうのはかわいそうだと思っている。中国の人たちが食べてしまうものなら日本の人たちが飼い幸せに暮らす方を私は望んでいる。

 私は、外国の人といろいろな食い違いがあるのはしょうがないことだと思う。なぜならその国によって行うことは変わるので、外国の人からすると日本人の習慣も変に感じているかもしれない。郷に入っては郷に従えということわざがあるように、その国のルールに従った方が良いと思う。しかし私は自分の国だけでなくいろいろな国、外国の習慣にの耳を傾け、共感出来たらよいと思う。これからは、ほかの国の習慣を知り、日本の文化も守ってゆきながら日常生活を送りたいと願っている。