最近わが国では、あらゆる所で(感)

   中3 あきえよ(akieyo)  2025年12月2日

  最近わが国では、あらゆるところで、「国際化」の必要が唱えられているが、世界においてこれがスローガンさながらに叫ばれているのは日本だけである。また、日本はアメリカやヨーロッパよりも心理的に開かれていて、外の世界から謙虚に「学ぶ」という伝統的習性を保持している。それにもかかわらず、日本の「国際化」が求められる所以は、貿易、軍事、文化交流、等々において世界を支配しているのは、今のところはまだもっぱら欧米の論理であって、日本はそれに自分をある程度合わせない限り、国としての生存を維持できないからにほかなるまい。私はこの文章を読んで、他の人を基準にするのではなく、自分自身を基準とするような生き方をしていきたいと感じた。

 そのためには第一に、自分のことは自分で決めることである。そうすることで、他人に頼りすぎないようになるだろう。また、自分で決断することは思考力を鍛えるためにも有効であると考える。私は先月、学校の校外学習の後に八景島シーパラダイスへ行った。そして、決して時間が足りなかったからというわけではないが、アトラクションのフリーパスを買っていたため、現地解散後も友達と一緒にまだ遊ぶことにした。そこでは、ジェットコースターに乗りたいと思っていたので、友達に提案するか「自分一人で乗ってくる」と言うべきなのか迷っていた。しかし結果としては、高所恐怖症を直したいという友達の言うがまま、バイキングという左右に揺れる舟型のマシンに4回連続で乗ったら、なんと閉演時間が来てしまった。自分としては、初めてのシーパラのアトラクションというだけあり、後悔の気持ちが残ってしまった。この経験から、人に合わせることの悪いところに気付くことができたし、これから自立するためにも自分で決めた決断を大切にしていきたいと感じた。

 また、第二の方法としては、歴史上の偉人から自分自身を基準とする生き方を学ぶことだ。そうすることで、より正確に自分自身を基準とする生き方を実現していけるのではないかと感じる。この実例を考えるにあったって思いついたのは陸奥宗光である。彼は、不平等条約を結ばされていた15か国への条約改正に成功をしたという偉業を成し遂げた人物だ。そして私が彼に感動した点は、当時アメリカに逆らうことはあり得ないことであったであろうに、少人数で日本のために揺るがない信念をもって立ち向かったというところである。彼らの勇敢な行動が無ければ、今の日本の海外との公平な関係は無かったかもしれない。私は彼の功績を知り、自分の決意を曲げずに通しきることの大切さを学んだ。例として、友達と意見がぶつかり合ってしまった際に、相手の意見を受け入れてしまう傾向がある私でも、理屈を考え相手に理解してもらおうという気持ちが生まれてきたことなどが挙げられる。この考えの変化から、私は実際に色々なことにトライしながら自分なりの生き方を変えていくだけでなく、人の生きざまから多くの事を学べることを知ることが出来た。

 確かに、社会に出ていくうえで誰かと合わせることも学ばなければいけない。私自身、集団の中で浮くということは何よりも恐怖だ。しかし「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。」という言葉もあるように、人に流されて自分の意見を持たないことは、自分の人生を生きていないのと同じであると思う。流れにまかせて、他の人と意見を合わせて後々後悔することをくり返すのではなく、自分で考えものごとを選択していきたいと強く感じた。