12月 4週目 清書
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年月日
人は7に足歩行で手を開放し、その手に道具を扱う役割を持たせ、それを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。自然から遠く離れてこの概念をたてすぎたために、個体の意識を離れてはすべてが無であるという考えがすべてを圧倒し、ひたすら個体にしがみつくことが至上命令となった。動物はみなこの危険なゲームに参加し、興奮と高揚を味わい、常に危機を予想し警戒しながら、さしあたり目前の若い青い草の味を楽しむ。そういう濃密な時間の内にこそ死は正しい形で用意されている。それを承知の生命ではないのか。僕は、野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。
理由の一つ目は、死という終わりがあるからこそ、命を正しく使えると思う。例えばテストなど締め切りやゴールがあることによって、焦りなどがうまれ、人は真剣に取り組むようになる。それは人生も同じで、死というゴールがあるからこそ、そのゴールまで一生懸命走りぬくことが出来ると思う。
理由の二つ目は、死という終わりがあるから、命は大切であり続けられと思う。もし、人間が永遠に生き続けられるのであれば、いずれは、その生活が楽しくなくなり、その命は有意義に使えないと思う。僕は命という物は限りがあるからこそ大切でお金には変えられないものだと思う。だから、死を意識して生活することでその生活がより有意義に大切な時間になると思う。
もちろん、みんな長生きしたいし、死がないのも、いいと思う。しかし、鬼滅の刃の煉獄さんの言葉「老いることも、死ぬことも、人間というはかない生き物の美しさ」という言葉もあるように、命に限りがあるから、より、楽しく有意義な人生にできると僕は思います。