勉強の好き嫌い

   小6 たくみ(nomutaku)  2025年12月3日

 頑張ることが大好きな日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使う。例えば、八百屋さんで野菜を買おうとするとき、できるだけ安く買いたいと思い、ねぎを買ったときに、八百屋さんが、「勉強しましょう」という。学生時代とはこの課題を「勉強」を通じて考えていく、いわば自分探しの旅の始まりにも例えることができる。

 学校の授業の中で、僕が嫌な勉強(というかあまり得意ではない勉強)は、算数だ。特に、文字式が難しくて、成績もかなり低くなってしまっている。でも、苦手意識をもってやっているわけではなく、計算ミスが多いといったことが多いだけだ。逆に、楽しんでやったり進んでやる科目は、体育と理科だ。体育は特にのものが好きで、学校ではラグビーやサッカー、バスケットボールなどといったいろいろなスポーツをやる。その時は、仲間の指示通りにしっかりやることは少し難しいが、飛んでくるボールに対してはいい評価がある。また、体育の成績は中ぐらいだが、毎回大変良いの所に一つ丸が付くようにはなっている。なので、自分の中ではいいかなと思っている。もう一つ、理科は、実験をすることが一番好きだ。その中でも、水溶液の実験や体積の実験などをしっかりとやっていて、成績自体も高い。それはまるで、特定のポジションでは守備力が低いものの、また別のポジションでは守備力が高い人みたいだと思った。

 お母さんは、体育が学校の授業の中で一番好きで、昔体育が得意だったそうで、短距離走も長距離走もいつもに学年上位に入っていたそうだ。逆に、塾の英語は嫌だったのだそうだ。なぜかというと、3秒以内に答えないと業務用ファクシミリ用紙の芯でたたかれるのだそうだ。また、自分たちが出された問題をすらすらといていると、その先生はもっと難しい問題を出すそうだ。例えば、アインシュタインの相対性理論の英文を読んで訳すというような難しい問題だったのだそうだ。あまりに難しいので、結局みんな解けなくて、叩かれたのだそうだ。しかし、その先生のおかげでクラス全員が英語の偏差値が爆上がりしたのだそうだ。その先生はまだ現役でいらっしゃって、お母さんが僕にその先生のクラスに入れようとしているらしい。でも、こわくてできないかもしれない。もし僕がこの授業を受けていたら、あまりの難しさに頭がパンクして、力尽きてしまうと思った。また、時計がないと解け―ない問題が増えるかもしれないとも思った。

 僕は、好きな授業はそのままやっていけばいいが、嫌いな授業や苦手な授業はそれが克服するまでやらないと、成績や偏差値が安定してこないと思った。また、人間にとって勉強とは、社会に出るための基礎のうちの基礎で、最低限習得しなくてはならない道具のように大切なものだ。さらに、先生の中でも、こわい人は、良薬は口に苦しのときとただ怖いだけのときがあると思った。だから、こわい先生が当たっても、偏差値が上がると思って我慢すればよいことだと思う。僕は、算数でテストの点数が低くて、少しため息をついて肩を落としてしまった。