頑張ることが大好きな(感)
小6 てつ(akotetu)
2025年12月3日
この長文は「勉強」についての感想文だが、感想文の正直な感想としては、書き方がよくわからないのである。
まず初めに、この感想文のテーマである、「勉強」とはなんだろう。勉強とは学問や、技術を習得するために努力することや、それを復習することを指す。すなわち、勉強はしないといけないということがわかる。
必ずしもしないといけないという意味ではないが、文明社会に一人だけ取り残されるという恐怖を味わうならば勉強した方がマシだ。
ところで、日本の漢字には音読みと訓読みがある。「べんきょう」というのは音読みだが、これを訓読みにしてみると「つとめしいる」と読むことができる。
この例をもとにすると、「べんきょう」は予習や復習をすること、「つとめしいる」とは、「勉め強いる」と書き、気が進まないことや難しいことを、無理をしてでも行うという意味になる。このことから、一つの単語でもいくつかの使い方や意味がある。
僕は、歴史の授業や体育の授業は好きだが、国語や算数はものすごく苦手だ。以前の僕はあまりに苦手で勉強をしたい気も湧かなかった。だが、勉強の仕方を変えてみるとものすごく、いい点数を取れるようになった。
というようなことがあり、やり方を変えて、自分から克服しようとしたら、ものすごく成績が上がる。そしてモチベーションなども上がり、とても前向きな気持ちになることがわかった。
お父さんは、アメリカに住み始めた頃に、英語が通じない時期があった。そのため、はじめは簡単な日常会話しかできなかったらしい。だが、生活してるうちに、英語を話してる人たちと会話をしたいと思ったため、頑張って練習したそうだ。日本にいた頃も、英語塾に通って、勉強していた。この話を聞いた際、一緒に色々な言語を学ぶときのコツを教えてくれた。お父さんが言うには、「一つの単語をたくさん覚えるのではなく、文章にして覚えるといい」と言っていた。
例えば、英語には「How are you?」と言う文章がある。普通の人なら「I’m fine. Thank you.」などと答えると思うが、そこをもう一歩伸ばして例えば「It’s raining today so we can’t play outside」など、少し長めの会話ができると良いと言っていた
このように、勉強にはいくつかの込められている意味などがあるが、なぜ勉強が嫌いという考えに落ちいるかというと、ずっと同じ場所で、勉強しているからだと思う。
というのも、人間にとって環境というものは感情を左右するものだ。
例えば学校。ずっと同じ教室の中で黙って座りながら勉強するのは非常に嫌だが、移動教室や、外に行くときなどはとてもテンションが上がる。そこの違いなのかもしれない。
学問に王道なしということわざがあるように、勉強には、近道がないため、地道にコツコツと勉強してくのが良いということがこの感想文で言いたいことだ。