ある日、五つになる。「感」

   小5 あきはや(akihaya)  2025年12月4日



 手紙というものは難しい。なぜかと言うと手紙にはあて名があるからだ。手紙の妙味の真骨頂は、一対一で認められる所にあった。あて名があって差出人があることだ。最も、あて名の無い手紙もある。受け取る側からすれば差出人のない手紙などは一向にありがたくない。ユーゴーは出版社と、以心伝心、不立文字を地で行くようなやり取りをした。私はこんな返事のかける、こんな手紙が欲しい。印刷された挨拶状や通知状の類がそれだ。私たちは、この砂を噛むようなあて名のない手紙もずいぶん読まれていた。

 

 僕はおじいちゃんに「暑中見舞い申し上げます。」を夏の間に送ろうとしていたら、気がついてみればもう冬でした。僕は、これはまずいと思い、冬の間におくったら、おじいちゃんから電話で、何で冬なのに今年も暑い夏がやってきましたになっているんだ、と言われ恥ずかしくなりましたししかも電話越しでおじいちゃんが大爆笑している声がしたから余計に恥ずかしくなったから、これで学んだことは、暑中見舞いは絶対に夏の間に出したほうがいいと思った。

 

 母は心に残った手紙があったそうだ。母に第一の質問として心に残った手紙は何と聞くと母が

「細かくて綺麗な色彩を使っていた絵はがきで色がとてもカラフルだった。」

そうだ。さらに次の質問をした。手紙「絵はがき」を描いてくれていた人は誰と聞くと

「母は、私にとっては、ひいばあちゃん、和からするとひいひいばあちゃんになる人だよ。」

そして生花の先生でもあったよ。僕は最後の質問をした。どんな絵だった。と聞くと母は、「子共が遊んでいる絵だった。そして、短い文章に絵をそえて送っていて、子供がモチーフになった絵だったよ。」

と言っていた。僕もひいばあちゃんがいたらいいのに、と思った。

 

 山高きが故に貴からずと言うことわざがあるように山は高いこと自体が価値なのでなく、豊かな森林が生い茂っているからこそ尊い、物事は外見だけでなく内容や実質が伴って初めて価値があると言うことは手紙や絵はがきなどの手書きの方が相手の心が伝わってきて心が通い合うしコピーをされた物よりも手書き手紙の方が断然いいとわかった。