自分の夢中になれることはありますか。

   小6 はる(akiiko)  2025年12月4日

自分の夢中になれることはありますか。

 

                                はる

 

人は生まれながらに持っている性格がある。しかし、その人の経験と努力である程度変えることができる。また、人は生まれながらに持っている資質というものがある。こちらの方はうっかりしていると気づかないもので、自分の資質がどういうものなのかなかなか分からない。若い人々は、自分の素晴らしい泉がどこにあるか探している時期だ。大いに色々のことをやって探したら良い。ちょうど釣りをしている時のように、コツンと当たりがあったら、そこに君が隠れているのだからじっくりやってみたらいい。すぐに諦めてしまわないで、持続することも大切なのだ。いわゆる、辛抱だ。高校や大学などに入るというのももちろん一つの標的だろう。自分で決めた標的なら、見事的の中心を狙い通り射抜くべきだ。青春のうちにこれだけはやった。その自信が、自分自身を大きく変えてゆくのである。

 「絵を描く」「小説を書く」。私は最近この二つばかりしている。やっている理由として、ただ楽しいからでもあるが、夢中になれるからでもある。人は一回に集中できる時間は、二十五分と言われている。二十五分でやり遂げたいことをやり、五分の休憩を設け、それをサイクルさせる。そうすることによって、集中力と生産性を向上させると言われている。また、細かく区切ることで、やり遂げた感を得られ、先延ばし防止にも繋がるそうだ。私は自分の好きなことには何時間でも集中し、夢中になって続けることができる。だが、勉強は別だ。十分すれば飽き、つい、十五分ほどの休憩を取ってしまう。これが、私の効率の悪い勉強法だ。これを繰り返すと、好きなことをやらせてもらえなくなる。だから私は、二十五分間集中して勉強できるように時間を測ってくれるタイマー、「ポモドーロタイマー」を、プレゼントの一つとしてもらうことにした。これで、少しは私の勉強も捗るだろう。

 先ほども述べたが、私は集中できること、夢中になれることに関しては時間を忘れてその物事に向き合える。だが「絵を描く」「小説を書く」この二つは、何かをインプットしてからの方が良い作品を完成させられる。そのためには、文章の操り方が上手い人の本を読んだり、本物の動きを観たり、誰かの描いた作品を鑑賞したりするのが良いと私は思う。だから私はいつもこのことを意識し行動しているのだが、そのせいで勉強などをほっぽかしているため、どうも親はお気に召さないようだ。だが私は、未来につながるかもしれないこのインプットを、続けていこうと思う。私は今の所、将来は文章を書いたり、絵を描いたりすることに関われる仕事に就きたいと思っている。生活していて生まれた、自分の「好き」「夢中」「楽しい」という気持ちを大切にしたいからだ。そんなことを考えていたばかりに、私は友達との約束に遅れてしまった。だからこそ、どんどん広がっていく、妄想についてのアウトプットも、していこうと思い直せた。

 「勘がいい。」と友達に言われることがあるが、それは母からの遺伝だと思う。母は羨ましいほどに勘がいい。すぐにミスを隠そうとしている私の考えを見抜いたり、学校に給食袋を忘れた際に隠し通そうとしても気付かれたり。母に「勘がいいね。」と話題を振るも、ただ「母親だから。」と言い、その場を去る。だが私が見る限り、「本当に勘がいい」のだと感じる。そう思う代表的な理由は、「その人と会うものを見つけることができる」ということだ。母は、母が思う「お洒落な人」を、いつも街中で探しては見つけている。

「あの服にあんな組み合わせがあるのか。」

「あんなにも斬新に組み合わせていいんだ。」

と、常日頃研究、いや、自然と観察しているのだ。好きも混じっているその観察が、ある時実を結んだ。知り合いに、母が切った父の髪型をとても褒められたのだ。「センスがいい。」と。私はいつも見ている髪型だからなんとも思っていなかったが、確かに私の腕前ではそうそう父の髪をセンス良く切れないだろう。この前自分の前髪を自分で切ってみたが、あまり上手く切れなかった。そんな経験も含めて、私は母が褒められたのはすごいことなのではないかと感じてきた。

 知り合いに褒められた時、母はもちろん、私もとても誇らしくなった。自分の親が褒められるのはもちろん喜ばしいことだが、それ以上に、私にまで遺伝してくるほどの母の勘を褒めてもらい、自分も褒められた様で嬉しかった。母は、お洒落な人についてこう語っていた。

「服を『着ている』のではなく、もはや着ている人の『肌のよう』に見える。」

この話を私が解釈すると、「お洒落な人は、自分に一番似合っている服が分かっており、それを選ぶ力がある。」になる。一日に何時間も母と過ごしている私だからこそ分かったが、母はただ勘がいいのではなかった。本当に勘がいい人は、無意識のうちに研究して、それが勘につながっているのだ。絵を描く人も同じだ。ただ絵が上手いだけではなく、人や物の動き、表情、影のつき方など、様々なものを観察し、段階を経て上手くなっていく。だから母が勘がいいのは、元々勘は良かったが、より真に近づいたのは、母の、「好き」「夢中」「楽しい」。この三つが重なってできた、いわゆる努力の結晶なのだ。自覚はなくとも、その努力はかけがえのない経験であり、未来へつながる道標だ。私は尊敬する。「好き」「夢中」「楽しい」この三つが重なって、自分の気持ちを貫いた母に。

 「案ずるより産むが易し」ということわざがあるように、人間にとって夢中になれることとは、自己成長の糧であり、未来へ導いてくれる道標である。私は文章を書くことと、絵を描くことが好きだ。今この文を書いている最中に、私は色々なことを学んだ。好きなことから学んだ。夢中になれることは、自己成長につながる。だからこそ、自分の「好き」「夢中」「楽しい」などの様々な気持ちは、誰かに否定されたとしても、自分の心に従うことが大切である。私は、自分の好きなこの気持ちで成長していきたい。

 「自分の『好き』『夢中』『楽しい』などの様々な気持ちは、誰かに否定されたとしても、自分の心に従うことが大切である。」

この文が思いついたとき、私は自分の「アイデアノート」にものすごい速さで記した。これが自分の未来につながると「私」が思ったからだ。

 あなたにも、自分の夢中になれることはありますか。