行動のための考え(清書)
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年月日
宇宙飛行士は宇宙で個体意識が一気に取り払われるような体験をしている。彼らの話に耳を傾け、表面的な違いにとらわれず、その奥に秘めたものを注意深く探ってみると、そこに共通体験が見えてくる。シュワイカートが宇宙遊泳中に、仕事ぶりを撮影するカメラが故障したため、撮影担当のマックデビット飛行士は宇宙船の中に消えた。シュワイカートには静寂が訪れた。そして彼はヘルメットのガラス球の中で、わけもなく大粒の涙を流した。この瞬間、彼の心に、眼下に拡がる地球すべての生命、地球そのものに対する連帯感が生まれた。シュワイカートが宇宙空間で体験したこの個体意識から地球意識への脱皮は、今、この地球に住むすべての人々に求められている。
自らの、もしくは自分側の組織の利益を考えることは大切だ。今年の夏、2か月ほど前に学校で体育大会があった。去年の体育大会では一学年六クラスで競ったうちの五位、つまり下から二番目という惨敗を喫したために今年は奮闘するという意志がクラス全員にあった。そのため、チーム分けなども、相手はAチームを強くするだろうから、こちらはBチームを強くしようなどと熟考を重ねた。このように、昨年の二の舞はしない、総合三位以内に入るという強い、覚悟ともとれるような結束のもと一丸となって練習に励んだ。その結果か体育大会を迎えた当日、思いのほかうまくことが運び、リレーでこけるというトラブルがあっても立ち直り、最終的には二位を取ることができた。現在、来年は一位を取るという目標も設定されているようだ。自分の利益を考えることによって、自らのパフォーマンス向上を図ることができる。
ただし全体の利益を考えることも重要だ。例えば地球温暖化で余り影響がなくとも、他の地域の人々や環境のために努力する、といった具合だ。そのためときには他人の利益、ととることもできる。自らの利益を考えすぎると自己中心的と思われ、人が離れていきかねない。結果的に自分の能力が下がったも同然となる。昔話に「かさじぞう」がある。正月の料理用のために街に笠を売りに行くのだが、大晦日の準備に忙しく誰も買おうとしない。家に帰る道中、六尊のお地蔵さんが頭に雪をかぶっていた。気の毒に思い、持ちあわせの五蓋の笠と自分の手拭をかぶせた。その夜、昼間のお地蔵さんたちが歩いてきて鯛や米俵、小判などを家の前に置いて行ったという話だ。先ほどのスポーツおよび運動会においても、自分の事ばかりを考えないスポーツマンシップというものが重要視される傾向にあるのは、このためだと考える。
自分と他人の利益のどちらも天秤のようにバランスを見ながら考えていかないと自分や社会にとって不利益なことが起こりうる。だから、それら二つのバランスを常に考え続けることが大事だ。しかし、「あなたが世界に見たい変化に、あなた自身がなりなさい。」とインドの政治指導者・ガンディーは言った。いまの社会の成長、世界の発展、技術の発達のために考えるのみならず行動にうつすことが最も大切だと思う。ただ考える、思考をめぐらすだけで物事に進展はない。行動に移すために考えていると思う。自分の世界、周囲の世界、人間の世界のいずれであっても行動をしない限り変えていくことはできない。その行動によってこそ、変革は可能なのだ。自分、他人を引っ括めた世の中という存在に、良くも悪くも変化をつけるために、行動に移すことこそが肝要である。