つとめ、しいる
小6 あこりお(akorio)
2025年12月4日
日本人は、さまざまな場面で「努力」「勉強」などという言葉を好んで使う。「べんきょう」というのを訓読みにしてみると、「つとめしいる」と読むことができる。「勉強」には、「学問につとめはげむ」という意味の中に、何かを無理強いするニュアンスが含まれるため、初めから嫌な印象が付き纏っているのだ。島国の日本は、新しい外来の文化を輸入しなくてはいけなかった。その結果、日本人は外来文化の表面的な部分ばかりを身につけ、内面的な部分について学ぶことをなおざりにしてしまった。勉強とは、あくまでもそこへ行き着くための手段に過ぎない。
学校では、「つとめ、しい」られて勉強することが多い。私の場合、特に社会だ。社会では、テストのためだけに、覚えにくい人物や出来事を語呂合わせでたくさん覚えた。しかし、時間をかけて覚えた中で今覚えているのは「ヒーローおさめる江戸幕府」の一六〇三年くらいのものだ。無理やり覚えることに意味があるのだろうか。出来事はわかるにしろ、なぜ年号まで覚えなければいけないのか。私はまだ、勉強の意図を理解できなかった。
母に、勉強の意味を聞いてみた。すると、「勉強」という言葉は好きではないが、無理やり学んだことも全て人生の中の点となり、生きていく中で点がどんどん繋がっていくから、勉強が楽しいと感じると言っていた。それを聞いて、まるで景色が大きく広がったかのような衝撃を受けた。以前の経験と「点がつながる」という表現がぴったり重なったのだ。以前、テレビをつけると、博物館の絵画について取り上げていた。それは、千八百年代に作られたものだった。それをみて、その当時日本は明治維新の時だったな、と、絵画の歴史と無理やり覚えた歴史がとが繋がったのだ。このことから、学習は日頃から身近にあり、さらに、学習は生活と深く繋がっているとわかった。
人間にとって勉強とは、「学習」につながるための手段である。人間は初め、学校で字の読み書き、歴史、計算などを「つとめ、しいら」れて勉強する。しかし、社会に出て、勉強したものが社会と繋がって「学習」になる。だからこそ、今子供のうちに、脳が新しいことをたくさん覚えることができるうちにたくさんの勉強をしておいた方が良いといわれる。「学習」に繋げるためには、自分のあまり得意でない勉強でも、「ローマは一日にして成らず」という諺があるように、努力をし続けることが重要である。私はこれから、たくさんの点を見つけて、生活でその点とのつながりを深めて学習していきたい。