方言のつるべ (清書)
中1 あさくに(asakuni)
2025年12月4日
要約:日本には様々な方言があり、たくさんの単語にさまざまな異なる発音がある。このような違う発音の同じ意味の単語が存在したら、言葉の正しさでデべ-トが起こりかねない。そして、このような論争が繰り広げられる中、ほぼ確実にその言葉の「語源」が頻繁に取り上げられる。ただ、語源のままでは「今」の社会や風潮に会わないものがほとんどだと思う。「ほんとだ」と思い、馬鹿正直に一つ一つ直したらきりがないし、非常に重労働だ。根本的に考えてみればすべての言葉の認識はその人の教育や経験に元図いて生まれた解釈なので、自分なりの正しさを作り上げる必要性があり、全国民の理解を訂正するべきではない。
私は語源を実態に合わせて変えてゆくべきではないと思う。その一つ目の理由として、言葉の中に込められている日本独特のニュアンスが変化し、色褪せてゆく危険性があるからだ。その一例として、「働く」で熟考してみてはくれないか。これは和製漢字の中でも代表例で「人と動く」と書いて「働く」と読む。皆と協力しながら頑張る日本らしさが際立った単語だが、「最近は対人関係の変化や仕事でAI導入などで人と実際に会い、働くのは少々時代遅れだ」と唱え、「ワーク」に訂正することもできる。しかし、それをやってしまったら日本独特の文化や考え方を否認し、西洋のより現状に相応しい考え方を進めているのと同じだ。これを私は欲深い工作のようだと考察する。もうこれだけでいいのにと思う美しい四角形を「もっとマイルドに、もっと円滑に」と思い、四角形の最も核心的な要素まではさみで切ってしまい、円になってしうこと。確かに欲というものは月日が流れてゆくにつれどんどん過激化してゆくものだが、どのような場合も適切に対処する能力が求められる。これは私が西洋文化を敵対視しているのではなく、「世界に通用する日本らしさをわざわざ殺すのはどうゆうことだ」と述べているのだ。他の例を通してこの不条理を見てみよう。水族館で「可愛らしい」という固定概念をかぶっている「鯱」は魚へんに獰猛さを示す「虎」を付け加えた字だけでその見た目や修正を想像させられる漢字だが、これもやはり「実用性が無い」ということで方仮名の「シャチ」に変えられてしまうのだ。近年注目を集めている日本文化だが、外国人よりも日本国民が唯一無二の日本の国字を意図的に色褪せさせ、編集しようとしているのはまことに残念極まりない。
二つ目の理由として、語源を変えてしまったら歴史的意味合いが薄れ、漢字自体の価値がなくなると思うからだ。「漢字の語源は時代遅れだ」という人はいつの時代の堪えませんが、やはり字が残っているのはどの時代にも必要であり、どの人の心にも通じる何かがあるからだと私は信じる。これは完全に私の想像上の設定なのだがこれを通して理解を深めてもらいたい。時は三十世紀、二十一世紀の絶滅危惧種は全部絶滅し、人類は昆虫を主食にしている。家畜も存在するが、すべてクローン技術で遺伝的多様性にかけ、能力増加のためサイボーグにしている。その時、とある政治家が「現代の馬は半分ロボットなのに、全部肉体の古代の馬は時代遅れだ。語源の変化を求める。」と言う。万が一その法案が実行され、「馬」がよりロボットっぽいフォントに変更されてしまったら、字の歴史的価値、意味合いが消えると思われる。そもそもこの漢字は古代中国で馬の形をそのまま字にしたものだ。字そのものが動物の外見を表しているので、「馬」という漢字は美しい鬣をなびかせる四本足の哺乳類を連想させてくれるのだが、変えてしまったら「馬」の印象ががらりと転換され、存在価値も危ういでしょう。この変貌は「馬」が名前に入っている人や漢字愛好家などには大打撃だ。ご覧の通り、良かれと思って変えたとしてもやはり、根本的な部分を変えてしまったら漢字の存在価値もぶれて、時には破滅してしまうわけです
このように語源を実態に合わしてころころ訂正してゆくのは、国字の味がなくなり、歴史的な意味合いが薄れ、漢字の価値がなくなるので私はあまり進めない。間違いなく現代の風潮に合わして漢字や言葉を編集するのにも、わかりやすさや説得力などの利点があるが、そうしまったら作り直し、覚えなおすのにきりがないし漢字自体の存在も問われるだろう。スウェーデンの画家、カール・ラーションはこのような名言を残している。「正しく古いものは、時代を超えて、永遠に新しい。」と。これは私が二つ目の理由として挙げた理由、「字が残っているのは何かしらどの時代の人にも共通するものがある」という考え方に似て、正しく古い漢字は絶え間なく人の心を揺さぶり、使われ続けると解釈した。たくさんの意味で人々を支えている漢字、あなたはこれからどうやって付き合っていきたいですか。