世界との対話

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 明るい気持ちで打つと、きれいに釘の頭に命中する。このことは、物に限らず、人との関係にもまた当てはまるのではないか。私たちは、自分以外の世界と対話することによって自分自身を形成していくのだろう。見るだけ聞くだけの学び方は、一見能率がよいように見える。しかし、自分の体験を通して学んでないことには、確実性が不足している。そのような対話を可能にする社会の仕組み作りだ。日常的な経済活動として行うことが地域での人と人とのつながりを回復する。その地域で生産されたものを、その土地の人が消費する。そういう世界を通して、人と人とのつながりも、人と物とのつながりも再構築されるはずだ。対話には時間がかかることも多い。釘の打ち方を人間が気長に学ぶよりも、機械に任せてしまった方が能率は、はるかによい。対話を通して政策を決めようとすれば、利害の対立から何も決断できなくなることもある。対話とは何かのための手段ではなく、それ自体が一つの目的であると考えるとき、真に物と人との対話のある社会が生まれるのではないだろうか。独裁は確かに能率がよいかもしれないが、私たちは民主主義を守っていくべきだ。そのために方法は二つある。

 

 そのためには第一に、話し合いや選挙などの手続きをわずらわしいと思わないことだ。話し合いや選挙というのは一人では決して行うことができない。話し合いなどは自分の意見だけではなく他の人たちの色々な視点からの意見を聞くことができる。もしかしたら話し合いは、煩わしいことだと思うかもしれないが、みんなが納得のいくような意見を導くために一番最適な方法だと思う。また選挙などは、平等に全員の意見を取り入れることが可能だ。

 

 また第二には、反対勢力がいつも拮抗しているような状態を作っていくことだ。反対勢力がいつも拮抗することで世の中のバランスを維持することができる。もし勢力の一方がもう片方の勢力より優っていたら勢力が強い方が一方的に物事を進めてしまう可能性が出てきてしまうだろう。例えば、対抗勢力がないために軍部の独裁に走った戦前の日本だ。軍部の独裁政権により国民の意見が政府に行き届かずに悪い方向へと走ってしまった。

 

 確かに、民主主義は能率が悪いかもしれない。しかし、みんなの総意を生かして物事を決めていくことが大切だ。」ことわざの加工:「鶴の一声という言葉があるが、人間の社会は、誰かの一声で物事が決まってしまうようであってはならないのである。だから、独裁は確かに能率がよいかもしれないが、私たちは民主主義を守っていくべきだ。そのために方法は二つある。