心の実感
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現代の社会では、神経の疲労と肉体の疲労がさらに乖離していっている。原動私たちは心の実感を得られるような生き方をすべきだ。
そのための方法として第一に、自分の手足を使い時間をかけて行動することだ。私たちは、あらゆる行動、ものが機械化されたおかげで様々なことを短縮できるようになった。しかしその一方で、自分の手足を伴わない行動が少なくなり、そのものを作ること、その行動をすることの大変さを実感できなくなった。私は、お昼ご飯をコンビニで買う時にはよく冷凍のパスタを買ったりする。レンジで温めるだけですぐにできてしまうし、味も美味しいのでそれで満足してしまい、パスタを作ることの大変さを実感していなかったように思う。しかし最近は、よく自分でレシピを見ながら料理をするようになり、その中の一つとしてパスタを何回か作ったことがあった。レンジで温めて終わりにはならない、材料を切ったり、ただ水で茹でるだけでなくその中に塩などを入れて茹でるなど、様々な工程を重ねることでパスタができており、その時初めてパスタを作ることの大変さを実感できた。パスタを作ることの大変さを実感できたおかげでそれ以降両親に「パスタ“で“いいよ」なんてことを言わなくなったように思う(笑)。このように自分の手足を使って時間をかけて行動することは心の実感を得るために必要だと思う。
第二の方法として、それぞれの人のつながりを大切にすることだ。コロナが蔓延した頃の私たちは、学校が全面休校となり、基本的に家で生活し外に出て人と触れ合う機会が滅多に少なくなったため、人とのつながりが希薄化した。私も友達と対面でSwitchを遊ぶことができなくなり、ZOOMなどで通話をしながら一緒にゲームをしていた。わざわざ誰かの家に行くこともなく、寒い外や暑い中での外出をしなくて良かったため確かに便利だった。しかし、コロナの蔓延が落ち着いている今ではオンラインで通話を繋ぎながらゲームは滅多にしない。たとえゲームであっても対面で友達と会って、お菓子を食べたり、わちゃわちゃと話したり文句を言ったりしながらするゲームの方が何倍も楽しいのだ。オンラインはどうしても他者とのつながりを感じられず、騒ぎながらできることも声がスマホ越しでしか聞こえないため寂しい気持ちになる。人と会わなければ一緒に遊んだという実感も、楽しかったという実感も薄まってしまうだろう。心の実感を得るために人とのつながりを意識することは良い方法だ。
確かに、様々なことが機械化、省略化されていく社会ではどうしても心の実感と肉体の実感は乖離するものだろう。しかし、「心が私たちの核である」という名言のように、心の実感を伴わない生き方は、次第に私たちから他者の気持ちを配慮することなど生きる上で大切なものをなくすことにつながる。私たちは心の実感を得られるような生き方をするべきだ。私も、今後はめんどくさがらずに自分の手足を使ってあまり好きではなかった外出に挑戦するようにしたい。