読書と共に、前へ進む
小6 はる(akiiko)
2026年1月2日
読書と共に、前へ進む
テレビには娯楽番組の他に、いくらか知的好奇心を刺激する番組もある。例えば憲法についての座談会とか、ダム建設工事現場の写真とかいったものが「憲法」や「ダム」に対する好奇心を刺激する。しかし、その好奇心を十分に満足させるようなまとまった知識を与えてくれることは、ほとんどない。そこで、「憲法」に関しまた「ダム建設」に関して、まとまった知識を読書によって得ようという欲求が起こっても、不思議ではない。だが、世の中には難しい本がある。どうすればたくさんの本を読んで、いつもそれを分かることができるのか。その方法は簡単だ。だが、おそらく読書において最も大切なことの一つである。すなわち、自分のわからない本は一切読まないということ。そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよく分かることができる。自分にはわかりにくいけれども、他の人にはわかりやすい本というのがある。だが、誰にもわかりやすい本もあるのである。
私は今までで、何十、何百冊の本を読んできているが、やはり最後は物語の本に戻ってきてしまう。「モモ」「シュレミールと小さな潜水艦」「魔女の宅急便」「ハリー・ポッター」「ぼくはうそをついた」「ガラスのうさぎ」「森に帰らなかったカラス」。この七冊は、私が生きてきたこの短い十二年間の中で、特に心を揺れ動かされた本だ。どの本も、読み終えると私は目に涙が浮かんだ。「感動」「共感」「喜び」「悲しみ」「複雑」「尊い」これらの色々な気持ちが混ざり合い、泣かずには居られなかったからだ。こんなにも心が揺れ動かされるため、本を読みあさり、理由を探してみた。すると、文章の使い方に秘密があることが分かった。「モモ」を読み直し始めた。すると早くも十四ページに、情景が頭に浮かぶような話が出てきた。
「ある日のこと、廃墟に誰かが住み着いたという話が、みんなの口から口へ伝わりました。それは子供で、どうも女の子らしい、少しばかり奇妙な格好をした子なので、はっきりしたことは言えない、名前はモモとかなんとかいうそうなーーこういう話でした。モモの見かけは確かにいささか異様で、清潔と身だしなみを重んずる人なら、眉をひそめかねませんでした。背が低く、かなり痩せっぽっちで、まだ八つぐらいなのか、それとももう十二ぐらいになるのか、検討もつきません。生まれてこのかた一度もくしをとおした事も、はさみを入れたこともなさそうな、くしゃくしゃにもつれた真っ黒な巻毛をしています。」
モモという少女の説明を、目撃者達の噂話を加えて伝えたり、例えを使い想像させたり、語りかけるかのように表現したりなどと、非常に分かりやすく綴っている。私は最近小説を書くのだが、意識しているのは、まさにこの状況の説明だ。まだうまくいかない部分はあるのだが、
「いつもはガヤガヤと賑やかな階段でも、生徒がいないため、暗さ、静けさを感じたのはこれが初めてだった。由希は自分の席に座り、教科書を見返した。この教科書を見るのは、たぶん今日で最後だろう、と思いながら鑑賞に浸る。教室の電気はつけなかった。そのせいか由希は目が少しばかり疲れたため、目を閉じて、周りの音を聞くことにした。この学校の周りはビルやタワーマンションだらけで、風が吹くとしても自然の風ではなくビル風。そんなビル風の不自然な、「ヒューヒュー」と、なる音や、外からは学校の横の通りにある、中華料理店に入る数人の観光客の声が聞こえた。」
というように、読者もまるでその世界に入り込んだように読んでもらえることを意識している。だが、まだまだ上手くいかない部分もあり、苦戦している。私は、本を読むと、もう一人の「私」が本の中の世界で旅をしていると思う。そう思えるのは筆者が文章を工夫し、より伝えやすく努力をしているからだ。私もそのように読者に思って欲しいから、欠かさず努力を続ける。
母は、本を何年か越しに読み返すことが多く、読む年代によってグッとくるところが違うそうだ。私にはあまり理解ができなかったため、簡単に考えてみる。例えばこんなストーリーがあっ
たとしよう。
「A子ちゃんは食べるのが好きで、夕飯に出てくるご飯を、笑顔で何杯もおかわりしてしまう。だが、あまりにも美味しそうに食べるため、親は何も言えない。」
小さい頃は「食べることが好き」というところに共感する。だが少し年齢を経て、経験が豊富になってくると、「笑顔で何杯もおかわりする」「あまりにも美味しそうに食べる」これらに共感し、第三者目線が分かるようになってくる。そして子供が生まれてから読み返すと、「親は何も言えない」という部分に共感し、「このように甘やかすと、、」と、自分の生活を見直すようになる。このように考えると、母の言った意味が理解できるようになった。このことを踏まえて自分の生活を見直すと、私も時々「何年も前に読んだあの本を読み返したい。」と思うことがある。そして、この感情「読む年代によってグッとくるところが違う」というのは、一つの「成長」だと私は解釈した。
読書とは人間にとって、新たな考え方の「一つ」答えを教えてくれて、まるで「ここからは自分で考えて。」と呼びかけるかのようにみんなの成長を見守ってくれるような存在である。本という存在に、私は何度も、今も、成長を見守ってもらっている。そして共感してもらい、前へ進む勇気をくれた。私もこの「本という存在」に恩返しがしたい。そう思い考えると、一番早い恩返しの方法は、今度は私が書いた本を誰かに読んでもらい、本の素晴らしさや大切さを知ってもらうのだ。そう思うといつもより、より早く小説を書く筆が進んだ。私は目標ができた。その目標が達成されるのは何年かかるか分からないが、きっと達成してみせる。机と向かい合っていた私は、前を見つめた。そこには、苦戦をしながら、でも楽しそうに小説を書く私の姿があった。