スマホが普及して

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 視聴覚文化が盛大におもむき、本を読む人が少なくなるだろう、というのはどうも本当らしくない。一方は受け身のたのしみ、他方は積極的なたのしみで、受け身のたのしみが増えるということは、必ずしも積極的な楽しみを求めなくなるということではない。読書においてもっとも大切なことは自分の分からない本は一切読まないということ、そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよくわかることができる。

 テレビが生活の一部として定着したが、現代ではスマートフォンの急速な普及によって、再び人々の行動は変わり始めた。電車の中や待ち時間だけでなく、家のリビングでもテレビをつけず、スマホを見ている光景は珍しくない。スマホは自分の好きな動画やニュース、ゲームを、好きな時間に楽しむことができる。テレビのように放送時間に合わせる必要がなく、短い時間でも使えるため、特に若い世代に強く支持されている。その結果、「今度はテレビを見なくなった」という現象が起きている。これは、テレビが本の時間を奪ったのと同じように、スマホがテレビの時間を奪っている例だと考えられる。

 しかし、スマホの便利さには問題点もある。短い動画や刺激の強い情報を次々と見ることで、長い話や文章に集中できなくなる人も増えている。また、家族が同じ空間にいても、それぞれが別々の画面を見ているため、会話が減ってしまうこともある。テレビの時代には、同じ番組を見て「どう思った?」と感想を言い合うことで、自然に考えを伝え合う機会があった。しかしスマホは個人で完結しやすく、人との関わりが少なくなりがちである。この点を意識せずに使い続けると、考える力や伝える力が弱くなってしまうおそれがある。しかし、不思議なことに最近はスマホが普及したことで手書きが今流行っているらしい、デジタルではあらわせない質感や、あたたかみがいいと話題になっている。今はルーズソックスなどの平成やレトロが流行っているというし、新しいものが出ると古いものに憧れるのは人間の習性であろう。

 このように、本からテレビ、テレビからスマホへと、時代とともに情報の中心は移り変わってきた。便利な道具が登場すると、人はより楽な方へ流れていくが、それと同時に失われるものもある。だからこそ大切なのは、メディアをやめることではなく、使い方を自分で考えることだと思う。私も冬休みでショート動画ばかりみてあまり勉強できていなかった。ショート動画は気づいたら時間が過ぎていて、時間を無駄にするのだ。だらだらスマホを見ないように、スマホで興味をもった内容を本で詳しく調べたり、テレビで見たニュースについて家族と話し合ったりすることで、考える力を深めていこうと思う。新しい道具に振り回されるのではなく、学びにつなげる姿勢を持つことが、これからの時代を生きる私たちに必要だと私は考える。