テレビが普及して
小6 あさくさ(asakusa)
2026年1月2日
テレビとは受け身で、見るものであり、本は前向きな姿勢でなければできないことである。「今日は疲れたら映画見よう」というのはよく聞くからテレビ、映画見物法というのは成り立つけれど、「今日は疲れたから本をよもう」というのはあまり聞かないため読書法はあまり成り立たないのです。しかし、テレビにも娯楽番組の他にいくらか好奇心を刺激する番組もある。例えば憲法についての番組だったりがある。しかしそれはその好奇心を十分に満足でさせるようなまとまった知識を教えてくれません。だからその知識を読書で解決しようとする時があります。そうなればテレビは、読書を妨げないばかりではなく、むしろ助長するよう働くことになる。少なくともそういう面があると思う。
ぼくは、本、変な家、を読んだから、映画を見てみたら大事な場面や、細かい詳細が描かれていなかった。ぼくは、この映画を見て「これは良いのか?」と思った。そして映画では止まれないお母さんがやめなさいと言っても映画だから仕方ないと思う、あとキリがなく見てしまうため時間が見られない。本はいつでも止まれてしかも持ち運びもかんたんだ。しかし一方でテレビにも良いこともある。テレビは大スクリーンなため、目にも悪くない。でも本では、目が悪くなる。しかも、いろんなものが見られる。本だとその本一つでしか見られない。本はいちいち毎回買わなければいけないけれど。テレビ買ったらそれでいろんなものが見られる。
これは、母の話だ。母は今アメリカの大学に通い、本を読むことが宿題というのがある。本がイマイチ読めなかった時は母は、映画を見てから本を読み何があるのかを分かってから読む。それはぼくも同じだ。小学校の頃、多くの宿題が、本を読んで要約を書くことだった。そしてぼくは映画があった場合その映画を見ていた。映画の方が、理解しやすくて、見る気にもなる。そして最も良いのは、ビジュアルで理解ができること。その映画デリカしたらあとは英語で読んで要約を書くだけだ。要約を書く時だって、映画を見てセリフたちを耳で聞いてかける。
読書とは人間にとって世界を広くしてくれるともう。本は一人の個人スペースでゆったりした環境で読めて、自分だけの想像を繰り広げられる。そして、辞典だったらその時見たらみんなに自慢できるし、何かを知っておくことはいいことだ。だから、読書とは人間にとって、世界を広くしてくれるものだと思う。