いざ
中3 あおさみ(aosami)
2026年1月1日
久しぶりに学校へ行くと、クラスは受験一色になっていた。その勢いに少し怖気付くも、動じていないふりをして席につく。本の上の小さな文字たちがぼやけてくるのを眺めながら、焦らなくてはいけない時が来たのだとじわじわ気づくのだった。
人間はふだんはのんびりやっておき、いざというときに全力を出せるように生きていくべきだ。
第一の方法として、いざというとき全力を出すために、ふだんから幅広い教養を身につけておくことだ。調べてみると、教養とは「学問・芸術などにより人間性・知性を磨き高めること。またそのことによって得られる豊かさ」だそうだ。思っていたより抽象的である。振り返ってみると、私が行っている教養を深めいそうな活動は多い。ギターや語学学習、針仕事に幅広い読書、茶道など日々毎日行うことに加え、交流会や講座にも足を運んでいる。
学校に行かない日々というのは案外暇で、自分のしたいことを心ゆくまま追求できる。一生懸命勉強するわけでもなく、スケジュールを管理するわけでもない私は、一日の大半を興味のあることに費やしてきた。
しかし、毎日知識や技術を高めても、蓄えたものを披露する場がなく、感じることのできない成果のために頑張り続けることに疑問を持ち、やる気を失ったこともしばしばあった。
そんな葛藤を抱えながらも、この春私は高校生になる。入試は自己推薦での挑戦だ。学校の成績は出なくても、今まで深めてきた教養を生かして挑戦した数検や英検、中国語に習字などを武器に頑張りたいと思う。今まで蓄えたものたちがようやく披露される時が来たのかもしれない。
いざというときに自分の出せる札を多く揃えるために、後悔しないためにふだんから幅広い教養を深めることが大切だと強く感じた。
第二の方法として、社会が成果だけでなく、意欲や好奇心、可能性も評価することだ。
トーマス・エジソンは幼い頃、好奇心が強すぎるあまり、小学校を退学させられ、その後は家庭で学び「発明王」になったそうだ。
現代においても依然として私たちは目に見える結果で人を判断しがちである。受験に就職、転職などといった自己アピールの場では、皆資格や実績を並べ、自分の価値を示そうと必死になる。
だが、私たちはその人の本質を見抜けているだろうか。私たちは表面的な成果だけを評価していないか立ち止まって考える必要があると考える。例えば、大きなキャベツを買ったものの中身がスカスカだった、という経験は珍しくない。また小さいキャベツでも中身が詰まっていておいしいということもある。
人の価値も同様に、肩書きや見た目だけでは測れない。エジソンも学校では評価されなかった好奇心や探究心、意欲が強みとなり、1300個にも上る発明をした。好奇心や可能性を評価することで、新たなものが生まれる社会、成長できる社会づくりにつながると思う。
確かに日々の努力が評価されると嬉しい。
しかし、「知識がはしごを作ったのではなく、2階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ」という言葉があるように、日々内申点を気にする生活より、自分の好奇心を探究し、熱意を蓄えていく方が大切なのではないかと考える。目まぐるしく変わる世界だからこそ、私はふだんから教養と熱意を育て、いざというときに自分らしく全力を出せる人でありたい。