叱ること

    ()  年月日

 私が文章を書くことでやっと生活できるようになった頃、言葉遣いについて時折注意して下さる二、三の先輩があった。反省と訓練、謙虚さと自惚れ、そのどれが欠けてもいけないというのはこの期に及んでの認識で、経験の浅いうちはどうしても自惚が先行する。そういう者に対してあえて苦言を呈し、叱ってくださった方々をかえりみてありがたく思う気持ちは強くなるばかりである。生徒を怒るのはいたって簡単だが、はっきりとした自覚と誇りを持って生徒を叱るために、教師自身の言語生活の訓練と充実が前提になる。叱る以上は教師にも覚悟がいる。私は、無闇に子供を叱るべきではないと思う。

 

 第一の方法は、叱る人自身が正しい行動を示すことだ。子供は大人の行動を見て、どのように行動したら良いかを学ぶという。また、叱る側が範を示した上で叱らなければ言葉の重みも何もなくなってしまう。いつも廊下で走っている人が他の人に、廊下は走るなとは注意できない。何かの本で読んだのだが、子供がスマホでよく遊ぶ家庭では、親もスマホのヘビーユーザーであるパターンが多いという。幼い頃から親の影響でスマホに慣れ親しみ、次第に習慣化していったからではないか。同じように考えれば、子供に本を読んでもらいたければ子供の前で親が本を習慣的に読んでいるというのが良いだろう。叱る側が自身の行動を改善すれば叱られる側もその姿から学んでいくと思う。

 

 第二の方法は、具体的な改善策を示すことだ。ただ頭ごなしに否定するのみでは反発されて終わってしまう。それよりも、次からはどうしたら良いかを伝えることで、反発は生まれるかもしれないが、一応納得できる。また、自分にも覚えがあることなのだが、ただイライラしているという理由だけで、八つ当たり的に、他の人を別に悪い事をしてもいないのに怒ってしまう時がある。しかしそういった場合は改善策も何もないので怒られた側はどうすることもできない。そういった全く不要なイライラの連鎖を引き起こさないためにも、叱る際に具体的な改善策を提示するのは大事だと思う。旧日本軍の司令部は、離島防衛の際、兵力の逐次投入を繰り返し、その度に各個撃破され、防衛戦を下げていくこととなった。考えればわかりそうなことだが、少なくとも一度失敗した時点で改善策を出すことはできたのではないか。前例主義に陥った旧日本軍の欠陥が露呈してしまっている。つまり、改善策を提示し、失敗を繰り返さないのは大切だ。

 

 確かに、叱ること自体は大切だ。いけないことをした際には叱ることで、子供達は社会通念やマナーを身につけ、何がダメかを学んでいく。しかし、叱り方にもいろいろあり、良い叱り方もあれば、ダメな叱り方もある。例えば、何でもかんでも叱っていると挑戦を恐れ、周りの顔色を伺う子供ができあがってしまう。子供を叱る際には、叱る側も、確固とした理由と信念を持っているべきだ。