温かみのある世界

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 数量的に証明できるものにこそ真理があり、それのみが正しいとする考え方が広くいきわたっていた。しかし、それだけがすべてでは荷ことが近年反省されるようになった。工学的な発想と工学技術の行き過ぎが色々な面で見直されようとしている。それを補うための最も有効な方法の一つとしてあげられるのは、生物学的な発想であろう。

数学的な整いすぎてしまった環境よりもなじみやすさの方が大切であると思う。その理由は第一に整いすぎた環境は落ち着くことができないからだ。以前、サバイバルをしたり、クリエイティブモードで建築をしたりするゲームをやっていた。このゲームでは四角いもの以外の使用はできない。だから、四角い建物ばかりを作っていた。はじめはしっかりと整った形をしていて格好いいと思っていた。しかし、そのうち四角い整った建物ばかりではつまらないと思うようになり、ゲームをする頻度が下がっていった。そして、ゲームをしなくなってからは工作を楽しむようになった。私にとっては四角く整った世界よりも少し、ずれてしまったり、整っていなかったりしても温かみがありなじみやすい環境の方が落ち着くことができる。

第二に整った環境では安心することができないからだ。私がある本を読んだ際に、物語に出てくる女子高校生の言葉に共感した。その物語はある少女とある少年のデート中の出来事の内容が書かれている。少年の父親は弁護士で彼は数字や論理で説明しないと気が済まない性格なのだ。だから、少女に「自分のどういうところが好きか」と聞いた時の答えに対しても、数字や論理で表してくれないと気がすまなかった。そんな整いすぎた環境が少女にとっては全く安心できなかったため結局その二人は別れてしまうのだ。別れる際に少女は「恋愛というのは数字や論理でするものではないと思うよ」という。そこが、今回の話の内容と似ていると思った。数字や論理で作られた整った世界ではぬくもりがほとんどないと思う。

 確かに、整った世界はしっかりとしていてよいと思う。しかし、過ぎたるは猶及ばざるが如しということわざがあるように整いすぎていてはなじむことが難しい。だから、整った世界よりもなじみやすさが大切だと思う。