次への意志

   中2 あおらえ(aorae)  2026年1月2日

  慰霊祭の度にある官僚のあいさつで、…尊い犠牲の上に今の平和があることを…という言い回しを聞く。それは違う。誰でも死を無駄とは思いたくない。認めないのは、人間の愚かさを糊塗することに他ならない。犠牲の上にしか平和が成立しないのならば、それはいらない。原爆投下の正当性を主張する人々がまだアメリカには多いようだ。あの時点での選択肢について、数万から数百万の死者が予想されている。前提として沖縄戦がある。これに対して日本側から何の反論も出てこない。戦死者の大半は若かった。高い地位にいて責任をとらない卑怯者ばかりが生き残ったのならば、慰霊祭を重ねても死者たちは浮かばれない。究極の責任を問う支所もまだ出ていない。

 反省は大切だ。反省とは、ふり返ってそれでよいか考えることである。反省をしないと、何がいけなかったのか、何が良かったのかを見極めることができずに失敗する。舌切り雀という寓話がある。おばあさんが怒って雀の舌を切って放すと、おじいさんが気の毒に思い山へ探しに行く。迎え入れられ、厚遇されたのちに2つの堤のうち小さいほうを持って帰る。中には財宝が入っていたが、おばあさんは怒って大きいほうを取りに行く。帰る道中開けると、魑魅魍魎が出てきておばあさんは気絶してしまったという話だ。雀の舌を切り、散々痛ませたことを反省しなかったことで、大きな包みを取りに行くことになったと考える。包みを取り、言いつけを守らなく家につく前に開けてしまい、化け物が出てきたと思う。

 次へ向けて対策することも重要だ。いくら反省しても、対策しなければ元のままである。対策がなければ、反省も意味がないといって過言でない。対策することによってはじめて、次回同じことを行うときによりよくできるのだ。私は定期試験の図形という科目で、最低限の宿題をやったままにとどめ、そこまで勉強しなかった。その結果、当然といえばそうなのだが点数はあまり芳しくなかった。そこで悔しく思い、勉強方法を少し変えた。すべてを何回かやるのを、わからないところのみ重点的に行うという方法へ変えたのだ。つまり、次回への対策だといえるだろう。その結果、次の学期に行った確認テストでは、より高い点数を出せた。

 反省も大切だが、それに基づいた対策も大事である。すなわち、失敗した場合、反省をしたのちに対策を講じるという流れが重要なのである。この流れを骨組みとすれば、基本的に大体のことはうまくいくはずだ。しかし、エイブラハム・リンカーンはかつて「意志あるところに道は開ける」と語った。先ほどの例であれば、よりよい点数を出そうという意志のために反省をし、対策をしたということとなる。意志がなければ、無意味なものとなる。つまり、モチベーションを保つ必要があるのだ。それがあれば、たとえ困難な道であっても、自分の限界まで挑戦することができる。試すことができる。だからこそ、反省や対策よりも、まず意志をもつことが肝要なのである。