私たちがするべきこと
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年月日
慰霊祭のたびに官僚たちの挨拶がある。「……皆様の尊い犠牲の上に今の平和があることを決して忘れず……。」という言い回しの挨拶を何度か聞いた。だが、犠牲がなければ今の平和がなかったというわけではないと思う。大日本国帝国ファシスト政権が降伏していれば、何十万人もの死者を出さずにすんだのだ。同様にシンガポールや南京の人たちも日本軍が来なければ自分たちは…というはずだ。同法の死を誰だって無駄だと思いたくはない。だが覚悟の犠牲ではなく無念の死であったという前提で考えない限り、同じことはまた繰り返されていくだろう。
戦争の悲惨さを後世に語りつぎ、反省することは大切だ。戦争により私たち日本は軍属死者数、民間死者数を合わせて310万人もの死者を出し、餓死や病死などたくさんの人たちが悲惨な死を遂げた。毎年国全体で戦争で亡くなった方々を思って黙祷する機会があるように日本はこのようなことが起こったことを深く反省していると思う。だからこそ日本国は核兵器禁止条約というものを作った。戦争によりなくなってしまった方々を胸に反省し、それを踏まえて「平和な世界へ」という新しいスタート地点に立つことが大切だと思う。ニュースで外国人はミスをしたとき失敗したことに対して謝るのではなく、それを見つけてくれたことに感謝するそうだ。それが一回目のミスでも二回目のミスでも必ず初めに言われるのはセンキューという。なぜセンキューというのか、遠回りにイラついているのではなく、直す機会をくれてありがとうと思っているからだそうだ。私たちもこれを見習って、いつまでも反省するのではなく、これがあったからこそ平和について考えることができたと「失敗は成功の基」という名言があるように新たな目標へ向かう糧とすることが必要だと思う。
しかし、どうしたら戦争にならないのかを論理的に考え対策を立てることも大切だ。私たちは日々様々なリスクの中生活をしていると思う。歩いていても、コケる可能性、足がつる可能性、足首をひねる可能性など様々なリスクが伴う。しかし、そんな中私たちが日常のようにけがをしないのはそのようなリスクが起きないように慎重になるという対策を立てているからだ。もう少し大きなスケールで言うと、かぐや姫は自分が結婚するというリスクに対して論理的に考え、その結果求婚者たちに無理難題な課題を渡すといった対策を立てた。生きていれば、困難にぶち当たるのは珍しくない、ましてや世界大戦のさなかリスクを完璧に避けるというのも難しかったと思う。だからこそ、困難に当たった時に対処ができるよう対策を練っておくことが大切なのだ。こういう話になると、日本は戦争に賛成するのかという人がいるが、世界はいつ、どう動くか全くわからないものである。もちろんないに越したことがないのだが「備えあれば患いなし」、対策を練っておくことのデメリットは一つない。だから、私たちは常にこの先起こるかもしれないことに対して緊張感を持つことが重要なのだ。
確かに過去の戦争を反省することも戦争を回避するための対策を立てることもどちらもとても大切だが、「私は最も正しい戦争よりも、最も不正な平和を好む。」というキケロの名言があるように私たちが一番大切にしないといけないものは、戦争の正当性を考えるものではなく綺麗ごとだったとしても平和への願いを強くすることだと思う。そのために私たち一人一人がことを重大にとらえこ戦争の悲惨さをよく理解することが大切だ