ポイ捨て

   中1 すりりんご(akimano)  2026年1月1日

 私たちは日々、安心して暮らしている。きれいな空気に、きれいな道、整備された交通網。今から、約60年前は、今の環境とは真逆であった。1960年代にコンビナートが本格稼働したことで起こった公害問題、四日市ぜんそく。四日市市以外でも、大気汚染、海洋汚染による公害問題が多数発生した。その出来事があったことで、現在、私たちはきれいな空気を吸い、学校、仕事に出かけることが出来ている。道は放っておけばきれいになるものではない。きれいになるためには人間の手が加えられている。私の学校の坂もきれいなっている。その坂は、毎朝、係の生徒が掃除をし、登校した時に良い気持ちで一日を始められるのである。このような手が加えられるからこそ、私たちは安心して生活を送ることができるのである。現在、世界的目標として挙げられているのがSDGsである。SDGsとゴミには一瞬何の関係もないように感じるが、ゴミがあることによって、SDGsという目標が掲げられたといっても過言ではない。現代、街を歩くと、たばこの吸い殻、中身の入っていないお菓子の袋、森へ行くとペットボトルやプラスチック製の袋などがあちらこちらに捨てられている。何気なく捨てることを私たちはポイ捨てと呼んでいる。ポイ捨てはなぜ今注目されている行動なのであろうか。

 第一の理由は、ポイ捨てはまたポイ捨てを呼ぶからである。近くにあるグラウンドで友達と遊んでいると、必ずおやつの時間が来る。グラウンドの近くには駄菓子屋さんがあり、私も友達もそこでお菓子を買い、グラウンドで食べる。袋を開けて中身を食べ終わると、私も友達も困ってしまう。袋の中に中身が入っているとお菓子、中身がなくなるとゴミになるのである。そのゴミをどこに捨てればよいのか。周りを見ても砂だらけ。駄菓子屋さんには歩いて3分ほどで着くが早く遊びたい、面倒くさいという感情。そこで私たちは思いつく。そうだ、ここへ捨てればいいのだ、と。その行為がポイ捨てである。このような連鎖でポイ捨ては成立していく。ポイ捨てをする人達は誰もが当てはまる感情であろう。後日、グラウンドへ行くと、私たちの捨てたごみはなかったが、代わりに他人のゴミが捨ててあった。一度、ゴミが捨ててあった場所に人間はそこをコンクリートであれ、木であれゴミ箱とみなすのである。そこから回収する人が回収し、捨てる人は捨てるという関係が勝手にうまれるのである。

 第二の理由は、ポイ捨ては地球環境にもよくないからである。SDGsコンパスによると、日本の一般廃棄物の総排出量は4167万トン(2019年)だそうだ。そして、このままの量でゴミを捨てていくと、2042年にはごみを埋める場所がなくなるという予想も立てられている。そこで日本ではスポgomiという環境に優しいスポーツが誕生した。チーム対抗の競技である。生態系の悪影響として知られているたばこは、ニコチン、重金属で小動物の命を脅かすものである。そのたばこ一つが高得点である。次に、マイクロプラスチック問題として知られているプラスチックが2番目に高得点である。このような活動が世界に広まると、楽しみながら環境を維持できるのではないのかと考える。

 確かに、誰でもゴミを持ち歩きたいとは思わないだろう。しかし、一つ拾えば、一つだけきれいになるという名言があるように、ゴミを拾うことで環境も心もきれいになるのではないだろうか。ゴミを捨てることは自分にも悪だが、ゴミを拾う事は自分に福をもたらすのである。