本という想像の世界

   小6 あこまき(akomaki)  2026年1月2日

 テレビが普及し、「視聴覚文化」が盛大におもむき、本を読む人が少なくなるだろうというのは、どうも本当らしくない。映画やテレビのようないわゆる視聴覚文化や娯楽は、読書の楽しみを妨げるものではないのだ。テレビには娯楽の他にいくつか知的好奇心を刺激する番組がある。だが、そこにはその好奇心を十分に満足させるようなまとまった知識を与えてくれることはほぼない。そこでその好奇心でまとまった知識を読書で得ようとする欲求が起こるかもしれない。要するに本を読む時の方が、読む側の自由が大きい、つまり態度が積極的だと言えるだろう。しかし、世の中には難しい本がある。すなわち、自分のわからない本は一切読まないということ。そうすれば、絶えず本を読みながら、どの本もよくわかる事ができるのである。

 私はアニメや漫画を見る事が大好きだ。私は最近、『推しの子』という漫画、アニメにハマっている。皆さんも知っているのではないだろうか。これは週刊ヤングジャンプに投稿されていたヒット漫画だ。またこのお話は、半年ほど前にノベル化を果たした。正直私は、アニメなどで表している特別なオーラは小説では表すことはできないんではと感じていた。しかし、それは間違っていた。その本の文章は私の想像をはるかに超えるような表現力だった。一つ一つのキャラの特徴を例えで、書き表し、正確に捉え、それを頭の中まで想像させるようなものだった。私はそれをみて、アニメや漫画もいいけれど、小説ではキャラを頭で読みながら想像する事ができて感動した。本ではイラストでは表せない表現を語彙で表してくれて、その本の世界により深く入り込む事ができた。

  ヨーク大学の研究では映像を視聴した直後の二十五秒間は、文字を読んだ後と比べてイメージを思い浮かべる能力が一時的に低下するという事が示された。研究結果によると映像は脳にイメージをそのまま届けるために、脳が自らイメージを作ろうという力を弱めて休ませてしまうのだそうだ。読書は脳内で情報を補完し、映像化する能動的プロレス必要とするが、映像が完成された視覚情報をそのまま提供するから、脳が自らイメージしなくなるのだ。現代のように短縮動画を連続して視聴する環境は脳が常に省エネモードになってしまう。しかし、読書には文字というものでこの次の展開はどのようになるのだろうと自ら想像し、空想を広げる事ができる。自らイメージを書き出すのは読書が一番大切なのだそうだ。

 人間にとって読書とは想像力の翼を広げさせられるののである。読書はまるでどこでもドアのようなものだ。本を読むことで、その本の中の自分だけの未知の世界を想像で作る事ができるのだ。本を主体的に読むことでより私たちの想像の世界を広げてくれるのだ。また、たまに頭に浮かんで来ない本がある。だが、読書、百遍位自ら通ず。どんだけ難しい本でもくり返読めば意味が自然と見えてくる。転じて、その本を読み込むほどその情景や本質が頭の中にありあり浮かんでくる。いわゆる想像が深まる状態がいずれくるのだ。あなたも本を読み、想像で作ったどこでもドアに入ってみてはどうだろうか。