創るために

   高1 あかぬり(akanuri)  2026年1月2日

 私が、文章を書くことでやっと生活できるようになった頃、言葉遣いについて時折注意してくれる二、三の先輩があった。若い間は自惚れが強い。我も強い。反省と、訓練、謙虚さと、自惚れ、そのどれが欠けてもいけないと思うのはこの期に及んでの認識で、経験の浅いうちはどうしても自惚れが先行する。そういうものに対して、あえて苦言を呈し、叱ってくださった方々をかえりみて有難く思うばかりである。一人に人間をだめにしてしまうのはわけのないことだ。しかし、国を亡ぼすのは武力だけではない。教育の大事ということを切実に思う機会が増えている。

 言うべきとき、やるべきときは、しっかりその行動をとれる人になるべきだ。

 第一の方法は、自分の感情に流されすぎず、その人には何が必要かを一番に考えて行動することだ。中学の頃を思い返すと、いろいろみんな叱られてばかりだった。やはり、先生も人間だから、人を叱るときはどうしても自分の感情がこもってしまうことが多い。でも生徒は、そこに不満を持ってしまう。叱っているのではなく、怒っているように受け取りやすい叱り方だとなおさらだ。今思えば、二年のときの先生はそれが少なかった。結構熱血な先生で、毎日のようにみんなが叱られていた。当時は、みんな文句を言っていたが、あれはまさに、「怒る」ではなく「叱る」だった。みんなを叱った後は、しっかり切り替えて、いつもと変わらず接しており、全体に厳しくあたった後でも、しっかり生徒個人の話を聞いてくれることが多かった印象だ。なかなか難しいことだが、このことは生徒に何が一番必要かを第一に考えているからこそできることだろう。僕は、中学校三年間の中で二年生の時が一番楽しかった。そう思えるのは、クラスの雰囲気が好きだったのもあるが、先生の影響も大きいのかなと思う。

 第二の方法は、周りを気にしすぎずに、自分の意思に従うことだ。最近僕は、チ。というアニメにはまっている。当時のヨーロッパ諸国を舞台に、禁止されていた地動説を研究する人たちの物語だ。そのモデルになった人の一人がガリレオガリレイだろう。ガリレオは、コペルニクスの地動説を観測と研究によって実証した人物だ。しかし当時は、地動説はキリスト教の教えに反するため、異端とされ、硬く禁じられていた。しかしガリレオは、宗教裁判により地動説の発表、出版を禁じられたり、終身禁固となったりした中でも、研究をつづけた。真実を知るために、研究と意思を貫き通した、本当に強い心を秘めた人だと思う。「それでも地球は回っている」という言葉を裁判の最後に残したガリレオは、どんな自由の迫害がされようとも、それでもずっと進み続けたのだ。

 たしかに、自分の意志ですぐに判断し、行動に移すことは、ものごとの崩壊をうむリスクもある。しかし、自分と人の未来はできていくものではなく、自分たちでつくっていくべきものだ。だからそのために、言うべきとき、やるべきときは、しっかりその行動をとれる人になるべきだ。