人間らしさ

   中1 すりりんご(akimano)  2026年1月2日

 産業革命以来、機械は人々の生活を豊かにするものと思われて来た。その進歩はイコール人類の幸福につながると信じられていた。しかし、最近になってそれだけがすべてではないということが反省されるようになった。経済の高度成長下にあっては、一番有力な武器は工学的な発想と工学技術であったが、いまはその行きすぎがいろいろな面で見直されようとしている。補うための有効な方法の1つに生物学的な発想である。20世紀は機械文明の時代であったが、21世紀は生物文明の時代になるという言葉が使われている。機械的なものよりも、生物的ななじみやすさが大切だ。

 第一の理由は、慣れ親しんだ環境が落ち着くからだ。私の落ち着く場所、落ち着かない場所は主に2種類に分けられる。落ち着く場所は、普段の日常生活を送っているところ、よく目に見るところだ。落ち着かない場所は、公共交通機関、公の場である。人は、個人個人の落ち着けないところへ行くと、必ず何か重いものがのっかるはずである。冬休み、1年前から祖父と約束していた、今治城を見に行った。私は祖父の話す歴史の話から城が大好きになった。去年まで、年末年始は、祖父の営むレストランの仕出しで厨房から部屋へ帰るともう翌年になっていたことが当たり前というような忙しさだったため、なかなか行くことが出来なかった。しかし、今年の10月に祖父は店じまいをし、初めて祖父が居間にいるお正月を過ごした。祖父にも時間が出来たことから、今回、今治城へ祖父と2人の旅をした。今治城までは往復JRで向かう。乗り継ぎは2回あり、初めての祖父と2人の旅。私は、車は大丈夫だが、船や電車の乗り物酔いがある。その日の朝は特に緊張していた。普段一緒に旅をする母や叔母がいないことにもし酔って、具合が悪くなったらどうしようなどの不安が襲う。しかし、楽しもうという気持ちもあった。電車の座席はグリーン車で普段乗っている電車よりも快適であったが、車内が静かなうえ、他人も乗っている。そのことであまりくつろげなかった。今治城は祖父の言っていた通り、素晴らしい城であった。帰りは、乗りこしをしてしまったというトラブルもあったが、無事に計画していた到着時間に駅に着くことが出来た。駅には、母と叔母が車で迎えに来てくれた。車は、電車よりも狭く、窓も小さいが安心できてくつろげる。私の落ち着くところは、自分が知っているところであることに新たに気が付いた。

 第二の理由は、整いすぎた環境では落ち着かないからだ。冬休みの初めに冬休みの計画表を作った。きっちりとした計画で、作った当初はその計画通りの生活をしていこうと張り切っていたが、いざ冬休み本番になるとあれがやりたい、これをやりたいなどの欲望が出てしまった。人間誰もがスケジュール通りに出来るわけはないだろう。スケジュールに変化が欲しい。そのような欲望があるからこそ、旅行という言葉がある。人々は変化を求めて旅に出る。海外旅行者数(PHP 1998年)によると、日本から海外へ旅行に行った年間人数は、1500万人以上、海外から日本へ来た年間人数は300万人以上だそうだ。日本人だけではなく、外国人も変化を求めていることが分かる。全ての人々は、整った環境、スケジュールに変化を入れると落ち着くことをいつの間にか知っているのであろう。

 確かに見た目がきれいであることも大切だ。しかし、大切なのは健康らしい外見ではなく、健康自身であるという名言のように、中身を大切にしていくべきである。高度経済成長期下では工学技術が最先端であるとして、人間本来の心を忘れていた。しかし、今は人間らしさをだしやすい社会である。人間という見た目ではなく、生物的ななじみやすさにこれからは重視していくべきである。