テレビが普及して
小6 あけやの(akeyano)
2026年1月2日
娯楽としてテレビと映画とは見る方が受け身で、座っていれば画面の方がこちらを適当に料理してくれる。ところが本を読むのにはいくらか読む側に努力が要る。つまり、本を読むときの方が態度が積極的だと言うことになる。テレビにはいくらか知的好奇心を刺激する番組もある。しかしその好奇心を満足させるような知識を与えてくれることがほとんどない。そこで知識を読書によって得ようと言う欲求が起こると、テレビは読書を妨げないばかりでなく、むしろ助長するように働くと言うことになる。しかし世の中では難しい本がある。どうすればたくさんの本を読んで、いつもそれをわかることができるようになるのだろうか。自分のわからない本は一切読まないこと。そうすれば絶えず本を読みながら、どの本もよくわかることができる。
私が読んできた本の中で、一番好きなのは「赤毛のアン」シリーズだ。なぜならこの物語には美しい情景描写がたくさん入っているからだ。例えば「あちこちのリンゴの果樹園の香りで空気はかぐわしく、牧場はゆるやかな傾斜を見せて、はるかかなたの真珠色と紫にかすむ地平線の中へとけこんでいた。」など、きれいな風景を連想させる言葉が数多く書かれている。そんな赤毛のアンが最近、テレビでアニメ化して放送されていた。早速見てみたのだが、主人公のアンの声や、そのほかの登場人物も、私の思っていた声とは違っていた。しかも、私が好んでいる情景描写が入っていなかった。アニメなので声で風景を入れる訳にもいかないから、しょうがないとも思うが、やはり、それがないと魅力の半分ほどがなくなってしまっている気がする。しかし、アニメにも本にはない良さがある。一つ目は登場人物の表情がよくわかることだ。本ではよくわからなかった人物の気持ちもアニメで分かったこともあった。二つ目は楽なことだ。長文にあったように、座ってただただ見ているだけで楽しめる。私は、本にもテレビにもそれぞれ良さがあると思った。
本の中にもとても難しい本がある。私が難しいと思う本は物事について説明した本だ。少し前に「ちくまQブックス」というシリーズの本を読んだ。この本は探究学習を中心としたもので、いろいろな分野のことについて説明した本がある。その中の一つを読んだのだが、とても難しく、途中で放り出しそうになった。しかし、何回か読んでいくうちに、言葉の意味がわかりはじめ、だんだんと面白く感じるようになった。長文には「難しい本は読まなくてもいい」と書いてあるが、私は、難しい本を何回も読んで深めていくのもいいと思った。
人間にとって読書とは、想像力を育み、繰り返し読むことで自分自身の変化を感じられるものである。また、自分が体験したことのないことを想像の中で体験できるものである。他人が経験して得た知恵や知識を読むだけで知ることができるツールである。だから、これからは色々な種類の本を読んでいきたいと思う。