繰り返さないための反省と分析

   中2 あかるら(akarura)  2026年1月2日

 慰霊祭の挨拶の度に犠牲がなければ今の平和がなかったわけではないと思わされた。大日本帝国ファシスト政権が降伏していれば、何十万人の死者を出さずに済んだ。無念の死であったという前程から考えない限り、また同じことが繰り返される。回想録も出尽くしたはずだがシミュレーションを誰も行っておらず究極責任を問う文書は出ていない。原爆投下に対して反論ができない原因である。何が起こったかを確定してゆく堅固な言葉によって戦争を定義する必要がある。

確かに、戦争の悲惨さを後世に語り継ぎ、反省することは大切だ。つまり、何か自分が失敗してしまった際に自分の誤りを認める必要があると言える。私の英検への挑戦も同じである。私は準一級の試験を複数回受けた。難易度の高さや新形式による影響も確かにあったが、それでも他の級では一度の受検で合格してきたことを考えるとはるかに時間がかかった。今振り返ると、この結果には「反省」が大きく関わっていると言える。不合格という結果に際し、どこに問題点があったのか、勉強法は間違っていなかったのかなどを丁寧に振り返らず、自分を正当化することで試験から逃げていた。それは難易度の向上に比例して勉強の量や質を変えていく必要があった。しかし私は「自分のやり方」に固執し、周りの言葉に耳を傾けることなく失敗を繰り返してしまったのだ。自分の過ちに対して自分を正当化することは避けるべきことだ。「自分を『他人のように』眺める」という言葉がある。まずは第三者としての立場で自分の行いを俯瞰する必要がある。反省を避けることは現実逃避であり、有意義な時間とは言えない。このことを英検から学ぶことができたのだ。これは戦争にも当てはめることができる。いつの時代のどの国も相手を否定することから戦争が勃発し、自分を正当化することによって戦争が泥沼化する。歴史を振り返り、反省をしないことが悲劇な戦争を繰り返しているのだ。失敗の際にまずは自身の誤りを認めなければ明るい未来は望めないのだ。

一方、どうしたら戦争にならないかを論理的に考え、対策を立てることも大切だ。戦後80年が経った今、少しずつ戦争の原因が明らかになり、教育現場でも伝えられているが未だ十分とは言えない。だからこそ、その事象の「もと」に迫り、次の世代へと生かしていく必要がある。有名な昔話「さるかに合戦」でも同じである。猿に母ガニを殺されてしまった子ガニ達は、ただ猿の行為に憎しみを持ち衝動的な行動に移すのではなく、「どうすれば不幸を繰り返さずに済むのか」を考え、綿密な計画を練り、達成することで最終的に猿を倒すことができたのだ。昔話と現実の世界では私達に与えられている状況の複雑さや解決の難しさは大きく異なる。しかし、この冷静な分析の姿勢はどの時代・立場に生きる人であっても学ぶべきことだと言える。「歴史は繰り返されるもの」だと多くの人が話す。しかし、世界的に情勢が不安定になりつつある今、最悪の人為的災害を繰り返さないよう、問題の因果関係や解決策など表面には表れにくい根本的なことを見直す必要があるのではないか。

 確かに過去の戦争を反省することも戦争を回避するための対策を立てることも大切だ。しかし最も大切なことは、今ある平和を見直し、これからも「平和」だと思える環境を維持していくことだ。「平和を維持することは、戦争に勝つことよりも難しい。」という言葉がある。人それぞれの異なった形の「平和」があるからこそ何が平和なのかをはっきりと定義することでさえ困難である。しかし「平和」という土台があってこそ過去の反省も歴史に残る丁寧な分析も行えるのではないか。私も自分の考えを主張することと同様に、相手の意見を尊重する重要性を忘れず協調し合あえる生活をしていきたい。より多くの人がこのことを意識することによって、身近なところから争いがなくなり平和が作られていくだろう。