謙虚な姿勢を大事に

    ()  年月日

 言葉の背景には、その言語圏の文化がある。日本語を使う時は私たちは自然と日本的な文化を通して物事を見ることになる。そのことを深く自覚していく必要がある。

 そのために私は、日本的な文化を配慮した上で言葉に気をつけて生きたい。

そのための方法として第一に、謙虚な姿勢で発言することが日本人特有であると考えるため、そのことを理解して発言していきたい。例えば、プレゼントや差し入れを渡す時に「これはつまらないものですが」と言って渡す場面が多くある。さらに、褒められた時も「そんなことないよ」と返す人が多いのではないか。何か頼まれた時も「私でよければ」と言うことが多いだろう。このように日本人は日常的に謙虚な姿勢で発言をしている。これは、目上の人を敬い、尊敬する文化があるからなのではないだろうか。私が目上の人に対して尊敬という姿勢を覚えたのは中学生の時である。小学生の時は、上下関係などなく年上の子とも気軽に話して遊んでいた。しかし、中学生になるといきなり上下関係ができ、一つしか年が変わらない人に対しても敬語を使うようになった。さらに私はバトントワリング部に所属していて、上下関係が厳しかった。お水休憩に行く時も先輩が全員外に出るまで待っていないといけないし、低学年がCDプレーヤーなどの機材も持って帰らなければいけなかった。今思うと年下なのだから当たり前だと思うことでもその当時は、中学生になっていきなりできた上下関係に理解できないことが多くあった。今は理解しているつもりではあるが、一つ上の方から「タメで気軽に話していいよ」と言われると嬉しく思う気持ちがある。もちろん話していて盛り上がった時や共感したい時にはタメ語の方が話しやすい。しかし、目上の人を敬い、尊敬する気持ちも常に大事にしているため敬語で話すよう心がけている。

 また第二の方法としては、自分で発言に気をつけるだけではなく、自分の発言に対して相手がどう思うのか相手の気持ちも考えることが大事である。自分では気をつけて発言しているつもりでも人は感じ方が異なるため、大丈夫という人もいると思うが、傷つくという人もいるということを配慮して発言しなければいけない。例えば、マザー・テレサは、人と接する際に常に相手の気持ちを第一に考えて行動した人物である。彼女は「優しい言葉は短くて簡単でも、その響きは永遠である」と語り、相手を傷つけない言葉の大切さを伝えてきた。貧しい人や病に苦しむ人に寄り添う中で、どんなに小さな言葉であっても、人の心を支える力になることを示したのである。このように、自分の発言が相手にどのように受け取られるかを考える姿勢は、より良い人間関係を築く上で欠かせない。

 確かに、謙虚すぎることも良くない。しかし、自己主張しすぎることも良くない。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざもあるように日本人は、謙虚な姿勢を大事して生きていた背景があるため、その背景を理解して、言葉に気をつけて発言して生きたい。