悪の宗教善の宗教
高2 かずま(auyoto)
2026年1月1日
宗教とは、おそらく多くの人にとって身近な存在ではないだろう。正月に初詣に行ったり、旅行などでその土地の神社、寺院に行ったりなど、そういうわずかな例しか、日本人が直接的に宗教に触れる機会はないように思われる。いただきますやごちそうさまなどの食事前後のあいさつや、付喪神に代表されるアニミズムなど、日常生活に溶け込んだ宗教活動はあれど、日本人の知識、経験としての宗教に対する理解は少ないように思える。さらに、現代社会を語るうえで欠かせない宗教として、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、ユダヤ教などがあると思うが、このうちヒンドゥー教以外は一神教だ。日本人の根底にある神道は多神教、八百万の神なのだから、それらの違いも理解されにくくなっている要因の一つだろう。宗教というのは、今日まで続いている宗教的テロリズムのせいもあって、どこか恐ろしいものだという誤解も、多かれ少なかれ存在する。特にイスラム教はいい印象を持たれない傾向が大きいことだろう。だが、世界的に見れば多くの人が宗教を信じ、信仰心を持っている。国際協調が尊ばれる今の世の中こそ、宗教というものに理解を示すことは重要だ。なぜ、宗教というものは、デメリットもあるというのに、今日まで存続してきたのだろうか。
まず、当然のことだが、宗教が多くの人々を救ってきたことがあげられる。昔、産業革命がおこり、日本が近代国家となるよりもはるか昔、女性の権利はないに等しいものであった。当然、結婚などの制度も男性側に有利になるような、家父長制の側面が非常に大きかった。それは、例えば離婚のような、女性側の緊迫した状況から逃げ出す最終手段に関しても同様だった。女性は、現代のように離婚ができるような体制下ではなかった。そんな中でも、まったく女性の逃げる手立てがなかったわけではない。それは駆け込み寺だ。女性が一定期間、寺の中で過ごせば離婚が成立する。この制度が何人の女性を助けたかは想像に難くないことだろう。
また西洋では、キリスト教による奉仕活動も特筆すべきものだろう。キリスト教において、弱者、貧者の救済は天国に至るためには非常に重要なことであった。当時、比較的に裕福だった人の支援や、教会そのものの力によって、施療院という施設が経営されていた。これは貧民に病人、老人などの社会的弱者を助ける施設で合った。食事や寝床を、社会的弱者に教会は提供したのだ。もちろん、前述したとおり教会が宗教うんぬん関係なく行ったわけではない。これはキリスト教の教えを遂行したまでのことなのだから、もし仮にキリスト教という存在そのものがなければ、こういった施療院などの奉仕活動による救済がなかった可能性もある。
僧兵や十字軍に代表されるように、たしかに宗教が戦争を引き起こし、人々を死地へと追いやった歴史も確かにある。だが、そもそも自らの心身をいたずらに危険にさらすことしか教義にないような宗教が、大衆に支持されるわけもないのだ。宗教は大勢の人をすくえる能力があるのだから、今日まで支持されているのだ。
そして、宗教は仲間という存在を作ってくれるという観点も、大きな特徴の一つだ。世界で最も多くの人々に侵攻されている宗教はキリスト教であるが、その原点ともいえる宗教はユダヤ教だ。ユダヤ教は基本的に排他的で、選民思想もあるような宗教だったのだが、かの有名なイエスがそれを否定し、隣人愛と絶対愛を解いたのがキリスト教の始まりだ。ところで、ユダヤ教がなぜ排他的で、選民思想を持った宗教になってしまったのだろうか。これは、当時のユダヤ人の状況が関係している。当時、ユダヤ人、厳密にいえばヘブライ人はエジプトに住んでいた。しかし、エジプトの圧政に耐えかねた人々がエジプトから脱出したのだ。これがかの有名なモーゼの、海が割れ、道が現れたという伝説である。そして彼らは、あらたにイスラエル王国という独立国家を作り上げた。しかし、当時の強国である新バビロニアによって征服され、多くの住民が敵国の都バビロンに連れ去られてしまう。このようなつらく、苦しい過去があるのだ。そうすると、次第にヘブライ人の中に一つの進行が生まれてきた。ヘブライ人は唯一神ヤハウェへの進行を固く守り、やがて自らは神により選民として特別の恩恵を与えられているという選民思想を見出したのだ。つらく苦しい過去が、自らは選ばれた人間であり、いつしか救済されるという希望を見出したのだ。こうしてヘブライ人はユダヤ教を確立させ、そしてユダヤ人として、結びついていったのだ。それからユダヤ人は世界各地に散らばり、ユダヤ人国家が復活するのは数千年後、1948年になってしまったが、それまでユダヤ人が自らのアイデンティティーを失わずにいられたのは、宗教の力があったからに違いない。宗教とは、結束を高め、自らのアイデンティティーを形成するための非常に重要な要素にもなりうるのだ。
たしかに、宗教が大規模な戦争を引き起こしていることを否定することはできない。かの有名なアメリカ同時多発テロに始まり、今も各地で宗教対立による戦争、紛争が起きている。先に、宗教によって仲間意識が生まれると書き記したが、それは逆に敵が生まれるということも意味する。今日まで、それらの紛争は終わるめども立たず、むしろ人類の結束と統一を阻害するものとしか認識されなくても、ある意味仕方のないものかもしれない。しかし。物事は何でも二面性を持っているものだ。一面だけを見て四の五の言えるわけがない。宗教は多くの人の心身を支え、そしてアイデンティティーとなってきた。我々がいまするべきことは、宗教というワードを聞くだけで拒絶反応を起こすのではなく、なぜここまで、多くの人々に信仰されてきているのかを知ることだ。大衆が求めるということは、必ず何かしらのメリットがある。それを見て見ぬふりをすることは、かえって平和な世の中の形成にも悪影響を与えることだろう。国際協調が叫ばれる世界だからこそ、我々はそれを直視する必要があるのだ。