自然を支配しない生き方

   中3 あかるの(akaruno)  2026年1月2日

 農業は、きわめて恣意的な営みである。つまり、人間が自然を自分の都合のよい方向にねじ曲げる行為である。文化というのは、人間が手をつけられないような荒々しい自然をなんとか馴化し、管理下に置こうとする試みなのだ。そうして人は、自然を含めた文化的な営みの中で、自然をコントロール下に置いたような気分になる。しかし実際には、自然を手懐けるどころか、自然の大きな力に翻弄されるばかりである。そんな中で私は、自然に対して謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたいと考える。

 そのためには、自然はコントロールできないものだと知ることが大事だと思う。ペットは本当に賢い存在だと、最近つくづく感じている。私は二年ほど前から犬を飼い始めた。「ありす」という名前だ。ありすは物わかりが良く、家に来てから二ヶ月も経たないうちに「おすわり」や「お手」を覚えた。それからも、「ご飯」や「ハイタッチ」など、把握しきれないほど多くの言葉を理解するようになった。私たち人間が動物の脳に入り、「これを覚えろ」「こうしろ」と直接コントロールしているわけではないのに、動物が環境に順応する速さにはいつも驚かされる。しかし、ありすと過ごす中で、犬はただ教えられたことを機械のように覚える存在ではないと感じるようになった。ありすは人の声の調子や表情をよく見て行動しているように思える。嬉しい声を出すと、ありすも嬉しそうに反応し、忙しいときにはそばで一緒に動き回ってくれることもある。その姿から、ありすが周囲の状況を感じ取り、自分なりに判断して行動していることが伝わってくる。私はこの経験を通して、生きものは人間の思い通りに動かす存在ではなく、意思をもった一つの命なのだと実感した。自然や動物は支配するものではなく、理解し、尊重しながら向き合うべき存在なのだと思う。

 また、自然に対して謙虚であるためには、幼い頃から自然に触れる機会を持つことも大切だと考える。その一例として、環境問題を世界に訴えたレイチェル・カーソンが挙げられる。彼女は子どもの頃、母親と共に森や川を歩き、鳥の声や植物の姿に親しみながら育った。自然を「学ぶ対象」としてだけでなく、「感じる存在」として受け止めていた経験が、後に『沈黙の春』を書く原点になったと言われている。レイチェル・カーソンは、人間の便利さのために自然を思い通りに利用し続けることの危険性を訴えた人物である。彼女の生き方から、自然は人間の管理下に置くものではなく、共に生きる相手であるという考え方の大切さを学ぶことができる。幼い頃の自然体験が、その人の価値観や生き方の土台になるのだと強く感じた。

 確かに、人間は知恵や技術によって自然を利用し、生活を便利にしてきた。しかし、その力を過信し、自然を完全にコントロールできると考えることは危険である。自然は人間の思惑を超えた大きな力をもっており、私たちはその中で生かされている存在にすぎない。だからこそ、自然に対して謙虚な気持ちを忘れず、理解しようとする姿勢を持ち続けることが大切なのではないだろうか。ありすとの日々や、レイチェル・カーソンの生き方を通して、私は自然と共に生きるという意味を改めて考えるようになった。これからも自然を支配しようとするのではなく、敬意をもって向き合いながら生きていきたい。