成長と共に

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 ある朝、パパとママとトーマスがキッチンで朝食を食べていた。ママが立ち上がり流し台のほうに行くと、突然パパが天井近くまでふわりと浮かび上がる。トーマスはなんて言ったのだろう。多分パパを指して、「パパが飛んでいる!」と言うだろう。ママはトーマスの声に、何気なく振り返る。キッチンのテーブルの上を飛びまわるパパを見て、ママの手からジャムのガラス瓶が落ち、ママはびっくり仰天してけたたましく叫ぶ。どうしてトーマスとママの反応はこんなに違うのか。これは習慣の問題だ。ママは人間は飛べないと言うことをとっくに学んでいるが、トーマスは学んでいない。トーマスはまだ、この世界では何がありで何がありではないのか、よく知らない。私たちは子供のうちに、この世界に驚く能力を失ってしまうらしい。それによって、私たちは大切な何かを失う。

 私は、幼稚園にいたときくらいに、今考えると面白い発想をしていたことがあった。それは父の就職先が北海道だと思っていたことだ。しかし実際は東京だった。またその時は、自分が知っている県が、少なかったのでこのような発想になったかもしれない。今考えると私たちは関東に住んでいるから、一日で北海道と住んでいるところを毎日往復するなんてありえないことだ。しかし、当時は先入観が頭の中になかったのでそのことを考えても何も思わなかった。小さい頃は柔軟な考え方をするが、大人になると頭が固定観念で植え付けられてしまう。なので、小さい頃は訳もなく信じられることが、成長すると「これはこうだから、こうなることはあり得ない」と脳が勝手に考えてしまい、普通に信じることが出来なくなってしまう。

 私は小さい頃、先入観がまだ頭の中にない頃、サンタクロースについての疑問があった。サンタクロースは、煙突から入るけど、家には煙突がないのになんでプレゼントがあるのか。手紙を書いたらなぜ日本語と英語で書いてくれたのか。サンタクロースは、なぜ一晩で、世界中をまわれるのか。サンタクロースは、なぜ日本語を喋れるのか。私の友達は、サンタクロースが誰なのかを探す為に、夜遅くまで起きていたらしい。それほど子供は、サンタクロースが誰なのかを知りたいのかと思った。よく考えると、サンタクロースは、小学生にとって冬の名物だ。毎年十二月になると、学校ではクリスマスの話になる。それは、小学六年生になった今でも続いている。

 私は、今でも昔と変わらず怖がっていることがある。それは、暗いところは、歩けずに走ってしまうことだ。小さい頃は暗いとオバケが出てきそうで誰かと一緒に行かないと無理だった。「暗いとオバケが出てくる」のフレーズは本や、漫画で知ったことだ。本や漫画は知識を与えるだけではなく、怖い印象も与えてしまうことも多い。今でも、オバケが出てくるとは思わなくなったが、何故か暗いところは怖いと思っている。

 「禍福は糾える縄の如し」ということわざがあるように、成長とは人間にとって、新しいことができるチャンスになる。だが、それと同時に失われるものがある。小さい頃は出来なかったことが出来るのは嬉しいことだが、今まで考えてたことが考えられなくなるのは、少し寂しい気がする。