汚い今がキレイ

   中1 ジュンノスケ(akasiyu)  2026年1月1日

 産業革命以降、人々は機械の進歩こそが幸福をもたらすと信じ、工学的で数量化できる考え方が絶対視されてきた。しかし近年、その価値観だけでは人間の生活を十分に支えられないことが見直され、生物学的な視点─人間の本能的な嗜好や「心地よさ」─の重要性が注目されている。

建築やインテリアの分野でも、技術的に整った空間が必ずしも人を惹きつけるわけではなく、街角のような泥臭さや人間臭さが欠けると、人はそこに居つかない。美しさや合理性だけではなく、生物としての人間が自然になじめる環境こそが求められている。

この長文を読んで僕は、

整っているよりもなじみやすいほうが重要性は高まるのではないか。という意見を持った。

その理由は二つある。第一になじみやすい環境のほうが落ち着くからだ。

夏休みに、旅行に行った。そうしたらもちろんホテルに泊まるわけである。きれいに整理されていて、明るくきれいで旅行の気分を盛り上げてくれる。しかし、そこに何日も生活するとだんだんと汚くなってくる。それは旅行のために持ってきたものである。それに遊び疲れた感じも出てくる。そんな時に荷物をまとめて、おうちに帰ると安心感あふれてくる。それはきっとお出かけしたところからホテルに帰ってきたときの感覚とは違うものではないだろうか。

第二に、整いすぎた環境はかえって落ち着かないからだ。

僕も部屋の整理をしろと言われることがよくある。なぜ整理しないかといえばめんどうくさいというのが一番だろうが、少し汚いくらいが落ち着くからだ。整理して完璧と思っても、少し汚いのはそういうことなのであろう。疲れた時に布団に寝っ転がってボーっと過ごすことができるのも落ち着くからだ。ただ、汚いと勉強に集中できないことがあるのでそこは要注意である。

確かに、見た目がきれいであったりするのはいいことだし、汚すぎるのも嫌だというのが人間の心理であろう。「美しさとは、快適さが形になったものだ。」という名言があるように、快適に過ごせることで生まれる美しさというものがあるのではないだろうか。きれいが快適とは限らない。もしかしたら少し汚い状態でもキレイというようになる時代が来るかもしれない。