言語の影響
中3 のんの(aohita)
2026年1月3日
一つの言語を習得するということは、その言語圏の文化や価値観を身につけることでもあり、しかもその影響に私たちは必ずしも自覚的ではない。言語は考えを表すための道具にすぎないと思いがちだが、実はその言語を使うことで、物事の捉え方や感じ方そのものが方向づけられている。僕は普段何気なく使っている日本語が、自分の考え方にどのような影響を与えているのかを、考えていきたい。
まず、自分が何を言っているかを自覚することは、とても大切だと思う。僕は日常生活の中で、日本語を深く考えずに使っている場面が多い。たとえば、友達に何かをしてもらったとき、本来なら感謝の気持ちを伝えたい場面なのに、無意識に「すみません」と言ってしまったことがある。そのときは特に違和感を覚えなかったが、あとから考えてみると、「ありがとう」よりも先に「迷惑をかけてしまった」という意識が表に出ていることに気づいた。これは、日本語がもつ文化的な特徴の一つだと思う。日本語では、相手に負担をかけたかどうかを気にする表現が多く、感謝と同時に謝罪の意味が含まれることがある。そのため、僕自身も知らないうちに、自分の行動を「迷惑だったかもしれない」と評価しながら言葉を選んでいるのだろう。このように、日本語は人との関係を円滑に保つための言語である一方で、自分の気持ちをそのまま表現するよりも、相手への遠慮を優先させる考え方を自然と身につけさせているのだと感じた。
次に、お互いの立場や考えを想像することが大切だと思う。以前、学校で友達に「寒くない?」と聞いたことがある。そのとき僕は寒いと感じていたため、相手も同じように感じているのではないかと考えていた。しかし、相手は「全然寒くないよ」と答えた。寒さや暑さといった感覚は、その人自身にしか分からない主観的なものだ。日本語には、「寒い?」や「〜じゃない?」のように、相手の状態を断定せず、確認する形で表現する言い回しが多く存在する。これは、相手の感じ方や考え方を尊重し、勝手に決めつけない姿勢を大切にしてきた日本語の特徴だと思う。このような表現を使うことで、僕たちは無意識のうちに「相手はどう感じているのだろう」と考える習慣を身につけている。その結果、相手の立場に立って物事を考える力が育まれているのではないかと感じた。
確かに、日本語が育んできた相手への配慮や謙虚さは大切な価値観である。だが、『自分が考えるとおりに生きなければならない。』という言葉があるように、僕は言葉に流されるだけではなく、その背景にある価値観を意識して生きていきたい。