産業革命以来

   中1 あえなて(aenate)  2026年1月2日

 経済の高度成長化にあっては、その目的を達成する一番有力な武器は、工学的な発想と工学技術であった。だが今やその行き過ぎが色々な面で見直されようとしている。考えてみると我々の生活の大部分は、生物嗜好出良い悪いを判断していることの方が多い。だが従来の工科学的立場ではそういう曖昧さは技術とは認められなかった。庶民は人間であるよりも先に、まず生物は本来もっと泥臭いものだということが、いつの間に忘れられていた。それに気がついたわけである。

整った外観よりも馴染みやすいことの方が大事だ。

 その理由は第一に、整い過ぎた環境よりも、たとえ統制は取れていなくても慣れ親しんだ状態の方が落ち着くからだ。ハムスターなどの動物は、人間がきれいに敷物を敷いてもすぐにぐちゃぐちゃにしてしまう。人間も完璧に整っているところが好きだとは限らない。もちろんきれいなところの方が作業や勉強が手につきやすい、捗る人もいれば、少し散らばっていた方が捗る人もいるだろう。僕は少し散らばっていた方が良い。なぜかは、物が散らかっているかこれが使いたいというときに手に取りやすい位置に置いてあるということだ。片付いてしまうと机の上にある情報が少なくなってしまう。だから僕は整いすぎた環境よりも慣れ親しんだ状態の方が良いと思う。

 その理由は第二に、整いすぎた環境だとかえって落ち着かないからだ。ゴミがないことは日本にはない。絶対生活にゴミはつきものなのだが日本のゴミ四百万トン以上ものゴミを年間に出している。つまり豊かなことにゴミは必ずついてくるということだ。ゴミがよく出ることと言ったらやっぱりBBQ。バーベキューは炭、肉のトレー、ジュースのペットボトル等いろんなゴミが出る。このゴミを全て解消するのは厳しいが少しでもゴミを減らしたい。少し話は変わったが、ゴミがない環境というのは人間は逆に焦ると思う。だから整い過ぎた環境は落ち着かないと思った。

 確かに見た目がきれいであることはいいことだ。しかし「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自信である。」という名言もあるように外見y理も心地よさの方が大事だ。