読書の大切さ
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年月日
テレビの普及で映画を見る人は減ったが、視聴覚文化が広がっても読書は減らない。映画やテレビは受け身の娯楽で、読む側の努力や選択の自由が大きい読書とは性質が異なるためである。テレビは知的好奇心を刺激することはあっても、十分な知識は与えにくく、かえって読書への欲求を高める面もある。読書は言葉の意味を理解する積極的行為で、「読むこと」と「わかること」は切り離せない。難しい本に無理に挑まず、自分にわかる本を読むことが大切だ。
この文章を読んで一番印象に残ったのは、読書は映画やテレビとは違い、読む側の姿勢が強く問われる行為だと述べられている点である。これまで僕は、テレビや映画と本は同じような娯楽だと考えていた。しかしこの文章では、映像は受け身で楽しめる一方、読書は能動的に自分の意志で読み進め、意味を理解しなければ成り立たないものだと説明されている。特に、「読むこと」と「わかること」は切り離せないという考え方は新鮮だった。本を読むとは、ただ文字を追うことではなく、言葉の意味を考えながら内容を理解する行為なのだと気づかされた。この考え方は自分自身の読書経験を振り返ってみてもよくわかる。
例えば、以前読んだ本の中で特に記憶に残っているのが「ファーブル昆虫記」である。この本は、昆虫の行動や生態について、なぜそうなるのかを考えながら読まなければ理解できない内容だった。ただ文章を追うだけでは面白さが分からず、言葉の意味を一つ一つ確かめながら読むことで、初めて筆者の考えや昆虫の不思議さが伝わってきた。この経験から、読書とは「読むこと」と「わかること」が結びついた、能動的な行為なのだと実感した。同じ作品でも、映画では映像や音楽によって情景がはっきり示されるのに対し、本では言葉を手がかりに想像力を働かせなければならない。その分、登場人物の気持ちや場面の意味を自分なりに考える楽しさがある。映画は気軽に楽しめる娯楽だが、読書には自分から向き合い、考えながら味わうという独特の深さがあると感じた。
一般的にテレビや漫画は読書の時間を奪うものだと言われることがある。確かに、限られた時間の中でテレビを見すぎれば、本を読む余裕がなくなることは否定できない。しかし、それらが必ずしも読書の妨げになるとは限らない。テレビで作品を見たことをきっかけに、映像だけでは分からない考え方に興味をもち、関連する本を読むようになることもある。映像は物語への入口となり、読書はそれをより深く理解する手段となったのである。また、本には向き不向きがあり、他人にすすめられた本が自分には合わないこともある。だからこそ、興味をもったきっかけを大切にし、自分に合った本を選ぶことが重要だと感じている。
人間にとって読書とは、ただ文字を追って知識を増やすことではなく、自分の世界を広げ、物事の見方を深めるための手段である。確かに、ときには義務として本を読まなければならない場面もある。しかし、興味をもたずに読んだ本は心に残りにくく、「馬の耳に念仏」ということわざのように、読んだだけで終わってしまうことがある。だからこそ、自分なりの関心や目的をもって本と向き合うことが大切なのだ。そうすれば、読書は苦痛ではなく、自分を成長させてくれる時間になる。僕もこれから、自分の興味を大切にしながら、多くの本と出会っていきたい。