言葉
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最近は、ご馳走、遠慮、結構など、たくさんの言葉が本来の意味と違う使い方をされている。また、電車で使うつり皮も、今は皮でなくビニールでできているから、つりビニールと呼ぶべきではないかと言う考えもある。枕木もおなじく、枕コンクリートと呼ばれるべきではないのか。言葉の正しさを論ずるときにとにかく語源が引き合いに出されるが、語源の通りでは社会情勢の変化に合わなくなるものが多い。そうかといっても、一つ一つの言葉を言葉を変えるのも大変だろう。吊り革を「吊りビニール」と変えたとしても、また材料が変わったとしたら、永遠に「吊り〇〇」と変わっていき、対応が難しくなるだろう。このように、実態に合わせて言葉は変えない方が良いと思う。
一つめの理由としては、混乱が起こるからだ。特に高齢者やその言葉を長年使っているため、慣れている人は新しい言葉へのトランジションが難しいだろう。新しい言葉に苦労もなく慣れてしまった若者と、まだ新しい言葉になれていない高齢者は、話が合わなくなってしまい、世代間のギャップが拡大してしまうだろう。祖父母と話す時、「ディスる」という言葉を使った。すると、二人ともその意味がわからなくて、私も説明に苦労した。世代のギャップを超えても、言葉などの説明ができる人こそ、真の「伝達者」であろう。
また、新しい言葉を取り入れすぎることによって、日本語本来の美しさが失われてしまうからだ。今は、「グロイ」「マズイ」「ビジュ爆発」などの、簡単で、使いやすく、カタカナをよく使った言葉が多い。しかし、日本語本来の美しさが失われてしまう。例えば、青色の綺麗な池を友達と見ているとしよう。Z世代だったら、「エモい」など、感動を表す「今時」の言葉を交わすだろう。しかし、「瑠璃色」や「宝石の池」「水鏡」など、昔からある日本語の言葉を使うことによって、より一層周りのものが美しく見えるだろう。
確かに、新しい言葉を取り入れると、表現力も豊かになって、皆んなと繋がれるようになる。しかし、「美しい唇であるためには、美しい言葉を使いなさい」とオードリーヘップバーンが言ったように、日本語本来の美しさを生かし、古い言葉を大切にすると良いと思う。