本当に必要なこと

   中1 あかえか(akaeka)  2026年1月2日

 産業革命以来、機械は人々の生活を豊かにし、それが人類の幸福になるものだと信じられてきた。だが最近になって、それがすべてではないことが反省されるようになった。これまでの建築は芸術性と工学的な技術に重点が置かれていた。それが都市という空間にまで拡大し、他方では細分化されてきた現在では、その底流に生物学的なものの見方、考え方がしっかり根を下していないと本当に人間のためのものになりえないということが、今反省され始めている。環境が美しくあることは確かに望ましいことだが、芸術第一では庶民には住めない。庶民は人間であるより先にまず生物で、生物はもっと泥臭いということがいつの間にか忘れられていた。それに気が付いたのである。

 整った外見よりも利用のしやすさや機能のほうが大切だ。

 そう思う理由は第一に、整いすぎた環境では自分が成長できなくなるからだ。例えば、私は最近、国語の授業で「不便の価値を見つめなおす」という題材を勉強している。その文章は、不便には不便の良さがあり、便利には便利の悪さがある。」という内容が書かれている。その文章の不便の良さの例では、介護施設内の急な階段や、幼稚園のデコボコな園庭がのっていた。私も、幼稚園のデコボコな園庭は体のバランス感覚や、身体能力を上げる効果があると思う。最近は、子供の体力が低下していることが問題になっていて、令和元年から三年連続で体力の測定値が落ちているそうだ。だから、このような園庭が増えていったら、少しでも体力を上げることができると思う。

 整った外見よりも、利用のしやすさや機能のほうが大切だと思う第二の理由は、いくらその建物の外見が美しくても、災害などの非常事態の時は何の役割も果たすことができないからだ。例えば、2024年の1月1日に発生し、今年で2年目になる能登半島地震が起こった石川県では、現在も仮設住宅で生活をしている人が大勢いるそうだ。もし、その仮設住宅を建てる時に耐久性や、建てる時間の速さなどよりも、芸術や見た目の良さを第一に考えていたら、「安全に雨風をしのぐ」や、「必要最低限のものを置く」などの仮設住宅の意味がほとんどなくなってしまうと思う。

 確かに、衛生的でなく、足の踏み場もないほどに散らかっている場所に住みたくはない。しかし、「初心、忘れるべからず。」という言葉があるように、本当に必要なことが何なのかを考えながら行動することが大切だ。