一年矢の如し
小6 ゆき(aonari)
2026年1月4日
「よし、今年こそ最後まで紅白を見るぞ!」
うちでは毎年紅白歌合戦を見る。だが、いつも決まって途中で録画して寝るので、最後まで見たことがなかった。今年こそ最後まで見るぞと思って初めて最後まで見たときは、大人になったような気がしてとてもうれしかった。紅白が終わって時計を見ると、十二時だった。私は十二時まで起きていたことがなかったので、冒険をしているような気持ちになった。十二時を過ぎるまでは二〇二五年なのに、十二時を過ぎると急に二〇二六年になったことがとても不思議に感じた。来年も起きて紅白を見ようと思った。
私はそばが食べられない。アレルギーではないと思うのだが、食べると気持ちが悪くなってしまうのだ。だから年越しそばが食べられない。家族は年越しそばを食べるのだが、私だけ年越しうどんである。父に、うどんでは年を越せないんじゃない?と言われて不安になった私は、うどんでは縁起が良くないのかと調べてみることにした。うどんには太く長い一年になるように、太く長く幸せにという意味が込められているそうだ。また、トッピングのかけ合わせでさらに縁起が良くなるらしい。去年から、母はおせち料理を作るのを休んで、市販のおせちを買っているが、くわいとごまめは手作りしている。おせち料理にも、いろいろな意味が込められている。例えば、くわいは物事に芽が出るように、ごまめは五穀豊穣の願いが込められている。昔の人たちは言霊を大切にし、縁起を担いでいた。今まで続いてきたのだからきっとご利益があると思う。私はおせちを食べる時に、意味や願いを考えたこともなかった。来年おせちを食べるときは意味や願いを考えて食べようと思った。
年が明けると、待ちかねたお年玉の集め時になる。我が家には、あるルールがある。もらったお年玉の額が一万円以下だったら、私がもらえる。でも、もし超えてしまうと、お年玉は母の手にわたってしまうのである。こんな時、決まって祖母は五千円をくれるので、私の目には祖母がまるで女神のように映るのである。集めたお年玉を何に使うというと、実は何も買えないのである。買わないのではなく買えない理由は、私の弟が私の隣で物を大量に買うので、気が引けてきて何も買えなくなる。私が発見したある法則がある。兄弟の法則と名前を付けた。兄か弟のどちらかがどんぶり勘定だと、もう片方が何も買えなくなるという法則である。私と弟にはもちろん当てはまるが、母と母の妹にも当てはまることで、母が服や物をたくさん買うので、妹が何も買えなくなるそうだ。もし知り合いに兄弟がいたらこんなことがないか聞いてみようと思った。十二月二十八日は決まって祖母の家にもちまるめをしに行く。つきたての熱い餅をきれいにしわがないように丸めるのは意外と難しい。市販の餅は四角の餅が多いが、やはり縁起がいいのは丸い餅である。年末年始は従妹に会えて、お年玉ももらえるのだから私にとって最高のイベントである。
大みそかに一年を振り返ってみると、いろんなことがあったのにもう昔のことになってしまったと実感する。一年は光陰矢の如しである。私にとって去年はいろんなイベントがあった年だ。万博や修学旅行に卒業文集などである。そして今年は中学に進学し部活や新しい勉強も始まる。新しい先生や友達との出会いも楽しみだ。今年の目標は、自律をして、誘惑に負けないようにしたい。もしお正月がなかったら、ただなんの節目もない毎日を過ごすことになってしまっていただろう。人間にとって大みそかとお正月とは、一年を振り返って、心機一転、新しい年を迎える準備をする時間だと思う。私も、新年を迎える前は一年を振り返ろうと思った。
「やっと最後まで見れたぞ!」
私はテレビの電源を切った。