自然に謙虚に生きていきたい
中3 あけおう(akeou)
2026年1月2日
農業は極めて恣意的な営みである。一見、「改良」という名のもと人間が農業を支配できていると思うかもしれない。しかし、実際に農業をやると、台風や酷暑の影響で、自然を手懐けるどころか、自然の力に翻弄されている。畑仕事はいくら人間が焦っても、できないものはできない。人間が望むもののうち、自然の合意を得られた分だけをゆるゆるとすすめることしかできないのである。私は自然に対して謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。
そのための方法として第一に、自然の恐ろしさを体験することだ。私は、学校の授業で津波の映像を見たことがある。とても恐ろしく怖くなった。今でも思いがけない時に地震が来てしまったらビクッとなってしまう。東日本大震災の当時、小さすぎて記憶がなかったが、もし生のテレビで、今津波で人が流されてしまうところを見てしまったら、それは相当怖くなってしまうだろう。自然は地震を起こすことや、火山を噴火させたりと、簡単に一瞬に人を殺ししてしまうことが可能だ。人間の力は自然の力には勝てないことを知ることで、より自然に謙虚に生きていける。
方法の二つ目として、自然が人間にもたらしてくれる利益を考えることだ。例えば、エジソンの電球。エジソンの電球のフィラメントの部分は、使用しているととても熱くなり焼けてしまうので丈夫な日本の竹が使用された。エジソンは最初に大量生産でき、熱に耐えられないものを熱に強くするように加工してしまえば良いと考え、まずは原料を探すよりも加工の方法を探した。しかし当時の技術の面では難しく、最終的にエジソンは自然の力を頼りに原料を探し始めた。もし自然がなくなってしまったら、エジソンは電球を発明できなくなってしまい。現在まで明かりがないということが起きてしまっているかもしれない。他にも、人間たちや他の動物が酸素を吸えるのは、今からずっと昔に光合成ができる微生物が誕生し、少しずつ酸素で地球を満たしてくれたからだ。実際に自分たちの身の回りにあるものはほとんど自然でできているものばかりである。このように、人間は自然に頼りながら繁栄してきた。自然の利益を考えることで、より一層自然に対して謙虚な気持ちになれる。
確かに、時には人間が自然を管理することも必要だ。しかし、「人間は自然の一部であって、自然の支配者ではない」というレイチェル-カーソンという環境学者の名言もあるとおり、自然を管理、支配したいという欲望は人間は自然の一部である以上、行き過ぎな要望で、不可能になってしまう。私は、自然に対して謙虚な気持ちを忘れずに生きていきたい。