ソクラテス(感)
小5 あこふゆ(akohuyu)
2026年1月4日
まずこの長文は、哲学者は自分があまりに物を知らないということを知っている。だからこそ哲学者は本当の認識を手に入れようといつも心掛けているソクラテスはそういうめったにない人間だった。ソクラテスは自分が人生や世界について知らない。とはっきり自覚していた。「最も賢い人は自分が知らないということを知っている人だ」とはもう言ったよね。ソクラテスはこういういい方もしている。わたしは自分が知らないというたった一つだけのことを知っている、とね。哲学者たちの間でもこんな告白はめったにない。また、トランプを分けるときに黒のカードはこっちの山に、赤のカードはこっちの山にと積み上げている。ところがジョーカーが出てくる。それはハートでもダイヤでもクラブでもないし、スペードでもない。ソクラテスはアテナイのジョーカーだったのだ。彼は思い込みがかたくなでもなかったし、どうでもいいとも思っていなかった。ソクラテスは自分は知らない。と言うことだけを知っていたのだ。と言う長文だ。
大体、四五年生ぐらいの時に家で勉強していて、自分が思った算数と理科と社会を二ページを終わらせて、
「終わった。」
と言った。そうすると母は、
「まだ終わっていないでしょ。やったとしても少なすぎ。」
と言われた。わたしは
「算数と理科と社会全部二ページずつやったよ。」
と言い返した。しかし
「二ページずつじゃ少なすぎです。それに終わりはない。」
と言われた。つまり、わたしは勉強をやったつもりでやっていなかった。まるで人を化かすタヌキやキツネみたい。
父は夜にベッドで横になっているときに寝ているつもりで寝ていないらしい。それは父からだけの視点でわたしたちからは起きているつもりで寝ているように見える。なぜなら朝や昼、父を探しに行くときに大体は寝室のベッドにいる。そして
「パパー起きてー。」
と言うと、父は
「起きてる。」
と言っているが実際は寝ている。父からの視点と自分たちからの視点が違う。
母は洗濯物を取り込むことを忘れて誰かに頼むことがある。そのとき、その誰かが洗濯物を取り込んできてくれたけれどカゴにギュウギュウ詰めでワイシャツなどがシワクチャになっていたらしい。それはまさにその頼まれた人はちゃんと手伝ったつもりだけれど、頼んだ側からみると迷惑である。これは有難迷惑である。また、人によって視点が違うのである。
井の中の蛙と言うことわざがあるように、自分の中の知っているつもりの世界にとどまっていないで外の世界を知ってみるのも大切だ。と言うことが分った。