開放的なスペース

   高1 あうては(auteha)  2026年1月4日

私は開放的なスペースは作られるべきだと思う。

 第一の方法は、他人との交流を大切にすることだ。近年ではデジタル化や技術の進歩が進み、生活の中において人々の交流が占める地位は低下している。情報交換や商品の売買などを実際に対面で行う必要がなくなったからだ。他者はいなくてもインターネットがあればある程度不自由なく生活できてしまう。しかし、人間は社会的存在として文明を維持している以上、他者と関わり合っていく必要がある。交流によって人脈を広げることで選択肢が多様になったり助けあったり、無用なトラブルを避けることができる。また、そういった実利的なこと以外にも他の人とのリアルタイムでの交流は視野が広がったり、ある程度路線の敷かれたゲームとは違う、予測不能な人間関係によって生活が充実したりする。孤独であることはとても辛いといわれるように、他人と関わりあって生活することは大切であるし、人間とって必要なことであろう。そしてその大切さ、必要さをしっかりと捉えることは、交流の場として開放的なスペースの拡大に繋がっていくと思う。

 第二の方法は自然を残すことだ。いくら物理的にスペースが確保されていたとしても、全てが人工物で構成され、コンクリートジャングルに周囲を囲まれていては心理的な開放感、安らぎはそのスペースの大きさほどには得られない。それよりも、自然を残し、人工的ではあっても屋根に木を用いたりした方が見かけ以上に開放的となる。実際に私が高校受験の際に東京都のesatjを受けた会場である明治大学にはラーニングスクエアという木やガラスがふんだんに使われ、開放感のある建物がある。植物があることで人工物の無機質な殺伐とした雰囲気を和らげ、人間にとってはより心理的に落ち着ける場所になっている。人間はいくら無機物を自分の体の延長のように使いこなしてはいても、本能的には有機物を好み、そして自然に精神的安定を感じるのだろう。

 確かにスペースを有効活用することは大切だ。特に人口に対する平地面積が限られている日本では、限りあるスペースを無駄なく使うことは必要である。実際一時期は都会にはほとんどビルと道しかなかった。しかし、開放的なスペースはとても大切だ。古代ギリシャのポリスの中心にあった公共広場、即ちアゴラは政治、経済、司法、文化の中心として機能し、民主制の象徴となっていた。日本では現在国が共用スペースを増やし、町としての魅力を上げる、ウォーカブルなまちづくりを推進している。技術の進歩、文化の発展は人間をその主体に置くべきだ。私も人間関係を重視し、楽しく暮らしていきたい。