あえて形を崩す
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年月日
生物学と建築というと、全く関わりのないように思えるが、果たしてそうだろうか。生物学が建築と関わり合う範囲は、動物学なら建築害虫、植物学なら造園の分野が挙げられる。これまでの建築は芸術性と工学的な技術に重点が置かれ、我々の生活の大部分は生物的嗜好で良し悪しを判断していた。だが、従来ではそのような曖昧なものは技術として認められなかった。ブラジリアは夢の未来都市として作られたが、様々な面で整いすぎていたために人が全く住みつかなかった。環境が美しいのも望ましいが、芸術性第一では、庶民はとても住めない。庶民は人間であるよりも先に生物であり、本来もっと泥臭いものだということがいつの間にか忘れられていた。このことから、整った外観よりも馴染みやすいことが大切だと考える。そう考える理由は二つある。
その理由は第一に、少し形が崩れていた方が、使いやすいし、落ち着くからだ。例えば、消しゴムの話だ。やはりなんでも、新しいものは綺麗なので使いたくないと思う。確かに僕も、新しい消しゴムを買った時になかなか使えず、使った時は少し悲しい気持ちになる。そして単純に、新しいものは角が尖りすぎていて、消しゴムがふにゃふにゃしてしまい消しにくい。この話は家具にも当てはまる。綺麗に整えたソファーは形を崩したくないという気持ちが先に出てきてしまい、思いっきりリラックスして座れない。そして、何回も座って凹みができているようなソファーの方が、体の形に合い、力を抜いてくつろげる。ベッドも同様で、たまにすごく綺麗に枕を置いたり、布団を綺麗にかけたりする時がある。その時に僕は、整いすぎてなぜか、寝心地が悪くしっくりこなかった思い出がある。この経験から、そのような時には布団の中に入ってから少しグシャクシャにする。そうすることにより、いつもの安心感という物が生まれ普通に寝ることができる。このような経験から、整っていると見た目はいいが、肝心の使い心地が必ずしもいいとは限らないと思った。
その理由は第二に、整いすぎると困ることが出てくるからだ。大体の人は冬の大掃除の時に、自分の部屋を整理すると思う。僕も、新しい収納ボックスを買い、そこに洋服や、バックを入れている。物が多いから、自分のものでも部屋に入り切らずリビングの隅に棚を作りその中に本や書類、筆記具などを入れている。なので、毎回正月の時期は何かと探す物が多い。なぜなら、あっちにもこっちにも収納しているからである。僕の部屋では、教科書や塾のテキストを収納しているところがあり、年末年始以外の時はいつも使うテキストだけを勉強机の上に置いている。机の上にいつも置いているので、すぐに取れる。しかし、片付けてしまうといちいち探さないといけない、なのでいつも困ってしまう。日本のゴミ排出量は約5020万トンだ。豊かな生活をしているからこれだけ多くのゴミが出るのも仕方ないと思う。そして、それに伴ってこれだけのゴミが出るということはそれだけ多くのものを買っているに違いない。ものを多く買っているからこそ、物が溢れ収納するスペースもだんだんなくなってしまう。そして、結果的に使いやすさは考えず、そこら辺にポンポン収納するため、使い心地というのは失われていくのだ。このことから、整うのは見た目は良くなるが困ることも多くなると思った。
確かに、見た目が綺麗でいくら整っていたとしても、「大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である」という名言があるように、外見より、過ごしやすさ、心地よさが大切で、程よく崩れた状態が人間によって最も心地よいのだ。