そっ啄の機
小5 あこおす(akoosu)
2026年1月4日
早すぎず遅すぎず、まさにこのときというタイミングがそっ啄の機である。頭の中に卵、考えが温められていて、まさに孵化しようとしているときなら、ほんのちょっとしたきかっけがあれば、それが雛にかえる。この千に一番のかね合いが難しい。ほかの人たちとどれほど親しく交わっていても得られなかったものが、何気ない出会いで与えられる。ここにもそっ啄の機が認められる。そっ啄の機とはいつやってくるかしれない、折にふれて立ち返ってみる必要がある.
ぼくのタイミングの話は、サッカーで空中のボールをダイレクトでうまくけれないと言う話だ。ぼくはサッカーの中でも特に苦戦している部分だ。蹴るタイミングがちょうどの時、ボールはいい音を立ててほぼ狙ったところと同じ場所に飛んでいく。しかし、けるのが遅くても早くても正確に狙った場所にはボールはいかない。けれども、ぼくはそこでタイミングを合わせるためにはどうすればいいのかと僕は思った。そこで、何回も何回も空中のボールを蹴れば、いつ、蹴るかが頭に入ってきた。タイミングを合わす回数を重ねたら、蹴るタイミングが分かるようになってくると思う。
お父さんに話を聞いてみた。お父さんは野球の試合でボールを打つタイミングがずれてきたそうだ。時がたつにつれ、ピッチャーもうまくなり、打つタイミングがずれてきたらしい。そこでお父さんは、打ち方をかえたそうだ。修正した打ち方なら、力をそこまでこめられないが、打ちやすいらしい。しかし欠点もあるそうだ。それは、力が込められずあまり飛ばなくなったことだ。けれどお父さんは結果的にはよくなったと言っていた。ぼくは飛ばなくなったりしてもなぜ良いのかを聞いてみた。それはホームランが打てなくても、ツーベースやスリーベースでも活躍ができるからだそうだ。
ぼくがこの長文を読んでわかったことは、そっ啄の機は遅くても、早くてもちょうどでないとなければ起きないということだ。例えば、欲しかった鉛筆を母が買ってきたなど、ちょうど欲しいと思ったときにもらえたりすることだ。ほかにもぼくは、その瞬間まで待ち受けて、そのときに行くのでも良いということも分かった。考えを温め続けてほかの情報と組み合して、また一つの考えとしても良いということだ。ぼくは渡りに船ということわざがあるように、絶好調な人生を過ごしたい。