いろいろなことから学べる
小4 みきひさ(mikimiki)
2026年2月1日
「えっさっ。ほいさっ。」
ランニングを十二月から始めて二か月たっている。夕方、父と一緒に走るのだ。ランニングの距離は、近くの公園を往復して一キロメートルだ。ランニングの利点は二つある。一つ目は、健康維持に役立つということだ。ランニングは、いろいろな人がしている。なぜかというと、インターネットで調べたところ、健康維持のための一番簡単な方法だからだそうだ。二つ目は、勉強ができるようになったということだ。なぜ勉強ができるようになったかというと、健康が良くなり、集中力がアップし、記憶力なども向上するからだろう。一方、ランニングには欠点が一つある。それは、疲れるということだ。特に疲れたところは、太ももである。まるで、足が金属になってしまったようだった。ランニングは、最初は楽しくなかった。なぜなら、走るのが苦手だからだ。しかし、今は、楽しくなった。なぜかというと、父とのかけ声がとても楽しいからだ。
毎年、秋、チャレンジランニングをする。僕の小学校では、校舎の周りを四周すると、ゴールだ。三キロメートルというとっても長い距離をドタドタと走る。その練習の時、学校ではかけ声をかけない。なぜ、かけ声をかけないのか考えてみた。多分、うるさいからだろう。もし、かけ声をかけながら走ったら、とても楽しくなるだろう。クラス全員でかけ声をかけると、先生に、
「うるさい。」
と怒鳴るように言われてしまう。だから、仲の良い友達同士でかけ声をかけたらいいと思った。
母は、中学生の頃、ソフトテニスの部活をやっていた。その部活で、どんな時にかけ声をかけていたか聞いてみた。まず、ペアーで息をピッタリと合わせるためにかけ声をかけていたようだ。例えば、
「私、行くね。」
「お願い。」
と、相手の状況を見ながら、絶妙なタイミングで声をかける。次に、試合で勝っている時、ファインプレーが続くように、
「Nice!」
と、勢いよく叫ぶ。そして、試合で負けている時は、気持ちを切り替えるために、
「ドンマイ!」
「次!」
と、励ます。母の話から、かけ声はいろいろなところで使えると分かった。僕との相違点は、僕の学校は、かけ声をあまりかけないが、母はとても使うところだ。かけ声をかけることで、良い気持ちになれると分かったので、学校でもかけ声をかけたいと思った。
人間にとって、かけ声とは、いろいろな意味があるものだ。かけ声をかけてもらうと良い気持ちになったり、頑張ろうという気持ちになったりする。だから、かけ声がなかったら、あまり面白くないのだ。かけ声はまるで、天気のようなものだ。例えば、天気は晴れ、雨、雪など場所によってとても変わるものだ。そして、いろいろな気持ちになれる。だから、やはり、かけ声は必要なのだ。一つのことがらでも、いろいろな意味があるものだ。だから、いろいろな視点から物事を考えなければならない。一つ一つの物事が良い結果につながるように、できることや大切なことは三つある。一つ目は、いろいろな言葉を辞書などで調べたり、昔の偉人の伝記を読んだりすることだ。二つ目は、父や母だけでなく、良い結果につながるように頑張れる人と触れ合うのが良いと思う。例えば、外国の人やまだ知らない人と接すると、いろいろな人との関係が深まる。三つ目は、それを実際に行動することだ。「血となり、肉となる」という諺がある。この諺は、学んだことや経験がしっかりと身に付き、将来に役立つという意味だ。このように、僕は、外国の人の本や偉人などの本を読み、吸収して、実際に行動したいと思う。
今日もランニングに行っている。そして、ビューという強い風が後ろから僕の体を押していた。