こんにちは、
中1 あかたそ(akataso)
2026年1月4日
人は二足方向で手を開放し、その手に道具を使う役割を待たせそれを発達した大脳で制御するという方法によって、急速に強い優勢な動物になった。それが言葉と並ぶ異常な加速進化のもう1つの理由であったが、それはともかく強くなったために狩る立場に立つことはあってもかられる側に回ることはほとんどなくなった。私は野生動物のように、死を意識して生きることは大切だと思う。私は、野生動物のように「死」を意識して生きることは大切だと思います。野生動物は、いつ危険が来るか分からない中で、一日一日を全力で生きています。だからこそ、ぼんやりしている時間がなく、チャンスが来たらすぐにつかもうとします。
人間も同じで、いつ何が起こるか分からないからこそ、今日という日を大事にしようと思えます。やりたいことにチャレンジしたり、友だちや家族に「ありがとう」と気持ちを伝えたりできるのも、時間には限りがあると知っているからです。
野生動物のように生きると言っても、こわがる必要はありません。「今を大切にする心」を持つことが大事なのです。その気持ちがあれば、毎日の出来事がもっと特別に感じられ、いつもの景色さえキラキラして見えるはずです。
だから私は、少しだけ「死」を意識しながら生きることで、よりていねいで前向きな毎日を送れると思うのです。
私は、「死のような大きなしめ切り」を心のどこかで自覚して生きることは大切だと思います。なぜなら、それを意識しないと、計画性のない人生になってしまうと思うからです。
たとえば、夏休みの宿題もしめ切りがあるからこそ、「今日はここまでやるぞ」と計画できます。でも、もししめ切りを知らなかったら、のんびりしすぎて、最後にあわててしまうはずです。人生も少しそれに似ています。ぼくたちは時間がずっとあるように感じるけれど、本当は限られた時間の中で生きています。そのことを忘れてしまうと、「いつかやるよ」と言いながら大事なことを先のばしにしてしまい、気づいたら何もできなかった、なんてことになりかねません。
だから、「死のようなしめ切り」があると考えることで、毎日をむだにしない気持ちが生まれます。「今日できることをやろう」「大切な人に大事だよと言おう」と思えるようになります。こわがるためではなく、自分の人生をちゃんと計画し、ていねいに生きるための考え方なのだと、ぼくは思います。。
確かに死を克服しようとして人間の文化は進歩してきた。しかし、限られた人生で大事なことは、何をするかではなく何をしないかである。