自分への評価

    ()  年月日

 少年の頃、喋ることがどうしても他者に通じないという感じに悩まされた。この思いは極端になるばかりであった。そうして自分の思い煩っている事を代弁してくれていて、しかも自分の同類のようなものを探し当てたいという願望から読書に病みつきになった。ところがある時期、自分の周囲にはあまり自分の同類は見つからないのに書物の中にはたくさんの同類が見つけられるというのはなぜだろうかという疑問に突き当たった。外からはそう見えないだけで、実は自分の周囲にいる人たちもみな、実は喋ることでは他者と疎通しないという思いに悩まされているのではないか。私もまた周囲の人たちから見ると思いの通じない人間に見えているに違いない。自分も他人と同じような存在にすぎないと思うべきだ。

 第一の方法は、謙虚になることだ。元々私たちは、自分自身に過度な自信を持っているので、謙虚になることでちょうどあるがままの自分の実力を掴むことができる。私もテストで同級生に点数が劣っていても、今回は上手くいかなかっただけで頭は自分のほうが良いんだと毎回心の中で思っている。気分は学年で8位ぐらいだ。上位7人ぐらいは素直に相手の方が頭が良いと意識的にも無意識的にも認めている。しかし同じテストを受けて、同じ基準で点数が出されている以上、自分の自信は蜃気楼に過ぎない。一歩引いた目線から謙虚に自分の実力を評価したぐらいがちょうど真実に近いものを映し出すのだろう。

 第二の方法は自分の世界を広げることだ。つまり、さまざまなことに触れ、知ることだ。狭い殻の中に閉じこもって生きていると五十年後には偏屈な世間知らずの老人がめでたく誕生してしまう。彼を知り己を知れば百戦殆うからずということわざがあるように、自分と相手をよく知ることは何をするにも大切だ。世間をよく知れば自分の限界を感じ、自然と自分自身に等身大の評価を下すようになっていく。またそれと同時に自分は他人とは何ら変わらない、他人から見た自分は他人であるという事を自覚する。つまり、他人の他人は自分であるということだ。自分は何も特別な存在ではなく、とてつもなく大きな集合の中での一つの要素に過ぎないという事を身をもって実感するようになっていく。

 確かに、自信を持つことも大切だ。子供の頃の、無邪気な自信から生まれる挑戦、不屈の心は何にも代え難い貴重なものだ。長ずるにつれ失っていく精神は大人になるまで保っていられたならば飛躍の糧となる可能性を秘めている。自信は行動の積極的な原動力となる。諦めず、高い壁にもぶつかっていくには大きすぎる自信が必要だ。もしかしたら実力以上の力を発揮することができるかも知れない。厳島の戦いでは毛利は五倍もの兵力差を覆して勝利した。冷静に彼我の実力を分析していては到底なし得ないことがある。しかし、取り返しのつかない挫折を避け、安定した人生を送るには自分を集団の中の一人と捉え、急に謎のブーストなんてかかるはずもなく、他人と本質的に何ら変わるところはないと知ることが重要だ。