話せばわかる

   高1 あかぬり(akanuri)  2026年2月1日

 私は、少年の晩期の頃、しゃべることがどうしても他者に通じないという感じに悩まされた。しゃべることへの不信から、書くことを覚えるようになった。それは同時に読むようになったことを意味している。自分の周囲を見わたしても、同類は全くいないように思われたがしかし、書物の中では、たくさん同類がみつけられた。ところで、ある時期に私はふと気がついた。自分の周囲にいる人たちも、実はしゃべることでは他者と疎通しないという思いに悩まされているのではないか。私ははっとした。この時期に初めて自分の姿を外で見るとどう見えるか、を知った。

 無意識なうちに起こる決めつけをなくしていくべきだ。 

 第一の方法は、相手に対して疑問を持ち続けることを大切にすることだ。僕の学校では、今なぜかよくわからないが坊主が流行っている。もともと学年に一人だけ(僕)だったのが、今では七人になっている。寮だと、バリカンをもってきている子がいて、お互いでそりやすいというのがまた要因だろう。他の坊主ではない友達からは、「坊主部でもつくるんか。」と言われている。そんな中、坊主を広げようとする運動が起こっている。やはり当たり前だが、みんな最初は断る。今、坊主になっている友達もみんな断っていた。だから、押し続ければ坊主にしてくれるとわかっているから、通称坊主部のみんなが「やろやー、気持ちいで!」と勧めていく。そんな中でも絶対にしようとしない、A君がいた。僕たちはみんな嫌なだけやろ、と思い込んでしまっていた。しかし、A君には実は事情があったのだ。いとこで、ある病気になってしまった子がいて、その子は坊主にならざるを得なかったそうだ。とても嫌がって、学校に行けなくなるほどだったらしい。だから、そのA君は坊主にしてしまうと、いとこの子からしたら、皮肉に思われてしまうのではないかと考えているから、できないのだと言ってきた。いつものノリで断っているA君を見て、決めつけてしまっていた自分を見直そうと思った経験だった。

 第二の方法は、相手との対話や深いかかわりを大切にすることだ。「話せばわかる」という名言を残した犬養毅は、改進党の結党に加わり「憲政の神様」と呼ばれた人物だ。彼が自筆で書いたという履歴書が孫にあたる犬養康彦氏の家に残っており、経歴欄のところに、「明治十四年と三十一年と両度役人となる。其外何もなし」と書かれている。これは、文部大臣に就任したときだそうだ。「それにしてはそっけないと受け取った。」という康彦氏の言葉からわかるように、権力や地位にとらわれない反骨精神を持っていた人物とされている。そんな犬養毅は現場の声を大切にして動いており、庶民とのかかわりも深かったそうだ。対話を大切にしていたからこそ、最後まで青年将校と対話を試みようと「話せばわかる」という言葉を言えたのだと思う。相手のことは話せばわかり、話さなければ自分だけの世界にとどまってしまうのだ。

 たしかに、自分の中で予想して考えを固めていくことも大切だ。しかし、考えを固めるとは決めつけたり、確定させたりすることではなく、柔軟にものごとを捉え、それを推敲していくことである。だから、無意識なうちに起こる決めつけをなくしていくべきだ。