社会は個人から成り立つものと

   中1 あさくに(asakuni)  2026年1月3日

 要約:社会は個人から成り立つものだということは今では常識化されているとみる。だが、日本人に限らず多くの人々は社会で生きているとは考えるはずもなく、より安易なセルフメイド社会、その名も「世間」で生きている。人の輪の大きさの差で世間の大きさは変わるが、馴染みある人々が加入しているのは事実だ。なので社会の中にある世間なのだ。これはもはや、風船カムを膨らました風船の中にもう一つ風船を作るかのように惨く、醜いものでして、人々は公徳心が無いと海外からは思われがちですが、真の問題は作られている仲間意識が、多くの人たちによって善人されているところだ。

私は日本人が「自分が自分が」と積極的なタイプの人へと変貌しなくても、グループや世間の中で行動していても良いと思う。まず一つ目の理由としては、歴史的観点からみて、日本人には集団生活の方が向いていると思ったからだ。今の「常識」になりつつある現代日本の社会システムや常識はすべて明治時代に積極的に取り入れられた西洋のものである。当時は鎖国体制が終わり、「素晴らしき西洋の国々」と多くの庶民は外国にあこがれたものだ。そして、そのような国々に勝ろうと、どんどんあちら側の文化やシステムをチュウチュウ吸っていった。「憧れ」という名のクッション性のあるのりがあったからこそ、人々は馴染んだが、本来このような物に日本人は向いてないのだ。阪神淡路大震災の時を考えてみてはくれないか。あの大惨事により10万5000棟が全壊し、6300人以上の尊い命が失われ、人々は絶望の日々に立たされていた。このような状況下でも被災者の方々はお互いに手を差し伸べ、再び立ち上がったのだ。確かに西洋の文化を取り入れ、日本は大きく躍進したが、日本固有の思考を忘れてしまったのだ。

さぁ私は前の段落では問題追求だけをしたが、この段落では効果的な解決策を紹介しよう。それこそ、「考え方」のイノベーションだ。今もなお、日本では海外にあこがれ、再び社会システムを改めようとしているが、「一番重要なのは考え方だ」とやっと自分が理解できた。その考え方は「グループや自分だけの世間があるからこそ、個人が輝き、成長できる」というものだ。前の段落で述べたように、グループの中での行動や活動の方が日本人に向いている。なのでもちろん限られた人数の中でお互い助け合わなければならないし、共存しなければならない。そのような時に、自分の欠点を補ってくれる人がいたらどれだけ楽だろうか。その逆もそうだ。自分が補い、補われてどんどん成長し、最終的には両者が輝く一つの存在になるのだ。

続く