お休み宿題:ポイ捨て (清書)

   中1 あさくに(asakuni)  2026年1月4日

  「ポイ捨て」という言葉はとても不思議だ。なぜかというと、「ポイ」というオノマトペが入り、本来の意味からちょっとズレてしまっている。個人的に「ポイ」という言葉を見かける、または聞くと、膨大な空間の中に何も考えずに自分の生活からいらなくなったものをさりげなく捨てることを考える。だが、実際には教室の床にある消しカスを無意識に机から落とすのもある意味、「ポイ捨て」だ。私は「ポイ捨て」がいいか悪いかと問われたら、「他人がやる分には良い」と答える。

まず第一の理由は「ポイ捨て」した人の人間性がわかるからだ。数週間前、アメリカの中学校へ友達と一緒に朝登校していた時、私たちの横に止まっていた車の運転手がさりげなく煙草の吸い殻を道路に捨てるのを目の前で目撃した。あまりにも罪悪感あふれる雰囲気で捨てたので、思わず内心で引いてしまった。さらに驚くべきことに、その運転手は捨てた後何もなかったかのように走り去ったので、「ああ、こういうことをする人もいるんだ」と非常に残念に思ったのを記憶している。ここで私が主張したいのは、環境汚染ともいえる「ポイ捨て」はあまりそこまで考えていない人たちに勝手にやらせ、自分は正しいことを続けるべきだということ。そうしたら、いつかはその人たちも自分のこれまでやってきた些細な積み重ねに罪悪感を感じ、変わってくれるだろう。この願いが叶わなくても、その人たちの性格の一部が理解できただけで良いのではないか。「こういう人なんだな」というイメージがあるだけで、人間関係の糸口につながることもあり、非常に得なことだと思う。これはボウリング大会のような仕組みだ。対戦相手が非常に非力でピンをほとんど当てれない時でも自分は着々と点を稼ぎ、相手は自分を見習い進歩するか、現状維持するかの選択肢がある。どちらを選んでも自分に悪影響を及ぼすことはなく、自分は進歩し続けることができる。

二つ目の理由として挙げたいのが、「この状況を振り切る革新的なイノベーションが生まれるかもしれない」ポテンシャルが高いためだ。「そのイノベーションを待つだけで、ポイ捨てを続けさせてたら他人任せじゃないか」という意見もあると思う。しかし、私の場合だと、これからの未来のためにひたすら学ぶということしかできなく、あまり積極的に貢献できない。だが、革新的な事業ができたら、大量にたまったゴミをすぐさま回収し最終的には「黒字」になるのだろうと、私は考える。現在は、株式会社micaなどがIoTトングを使って理想的な街づくりを目指している。IoTトングはどこでどんなゴミが収集されたかをスマホアプリに連絡し、どこにゴミ箱を設置したらいいのかなどポイ捨て撲滅に励んでいる。実際実施した特定の地域では埋め立てゴミが60%削減されたなどのデータも出て、その信頼性と効果は上がっている。将来私も「ポイ捨て」などの環境破壊に立ち向かいたいと思っているので、より一層学びに注力したいと思う。

このように再生や新しいイノベーション、そしてポイ捨てをした者の人間性がわかることから「ポイ捨て」は他の人がやる分にはいいと思う。確かにポイ捨てを積極的になくすのを頑張るのは環境破壊解決に直結するもので、尊敬に値すると思うが、そうしてしまったら一部の人が精力的に努力し、他者は何も緊急性を感じないという、まさに今の世の中みたいな状況になってしまうのではないだろうか。アメリカ人の小説家、アニープルーはかつてこのような発言をした。「皆が自然の負担を支払わなくてはいけない」と。私はこれを読み、「我々人類が汚してしまったこの美しい地球を我々が取り戻さなくてはならない使命である」と解釈した。 たっぷり自分の意見を述べさしてもらったが、やはりこの作文は空想上の計画に過ぎない。皆様も他人事と思わず、私と一緒に状況改善のための第一歩を踏み出してみませんか。